【三国志】片恋の曹操

2019年6月4日

その夜、関羽(かんう)は泣いていた。燈火(とうか)の下、書状を持つ手がわなわなと震える。その大きな手に、書状の上に、パタパタと音を立てて涙が落ちた。

「生きておられた! 兄上は生きておられた!」

涙の中に溺れるその文字。墨は濃く、太く伸びやかなその書体はまぎれもなく主君であり、義兄弟である劉備(りゅうび)のもの。

――関羽よ、関羽よ。

焼けつくように懐かしい文字のむこうから、劉備の声が聞こえてくるようだった。

――関羽よ。先の戦で心ならずも分かれて以来、君は曹操の元に身を寄せていると聞く。そして曹操の君に寄せる信頼は厚く、恩寵は高いと。我は一兵も、剣すらも失い、今は身一つにして袁紹(えんしょう)の情けにすがって生きている。関羽よ、君と我とは、かつて義兄弟の契りを交わし、君は望みうる以上の功を立ててきた。しかし顧みて、我は未だ不肖の身。君の功に何一つ報いることはできぬ。思う――もし君がその地にありて富貴を望むならば、曹操の仇である我はこの首を君に送りて、君の今までの功に報いんと……。

切々たる文面。語りつくせぬ想い。

「ああ、ああ」

関羽は書状をかき抱くようにして握りしめ、爛々たる眼を見開いて立ち上がった。

その姿。背は高く、堂々たる体躯。瞳は澄み、ふさふさと豊かな黒いひげは腹まで届く長さ。今そのひげが、開け放たれた窓から入る風をはらんでなびいた。その様はからすの羽が風に踊るがごとし。

外は射干玉(ぬばたま)の闇で、寂として音はない。だが関羽は感じた。このあやめもわかぬ闇夜のむこうに、たしかに義兄弟が生きていることを。

「富貴! 栄達! それが何であろう。このわしが、それを望むと思われただけでも恨めしい。兄上、この背に翼があれば、今すぐにでもお側に駆けつけるものを!」

関羽――この名は、これまでにも度々登場した。おそらく、三国志のおびただしい数の英雄たちの中で、トップスリーに入る有名人だろう。もともと塾の先生をしていたインテリが、武将になったという異色の猛将。三国志の主人公劉備の義兄弟である。若き日、関羽と張飛(ちょうひ)の二人は、漢皇室の血を引く劉備の高貴な人柄に引かれて義兄弟の契りを交わした。

「われら同年同月同日に生まれずとも、願わくば同年同月同日に死なん」

しかしながら、劉備はその後、時代の憂き目に会い、敗戦に敗戦を重ねる。劉備には宿敵がいた。曹操。少年の頃からホートー息子の悪ガキで、無論元気な女好き。子どもの数も驚くばかりだが、武将好きの彼は、集めた部下の数も大したもの。何かと派手なキラビヤカ曹操。対して、少年の頃からマジメな勤労わらじ売りで、老いた母をいたわり、妻はたった二人の地味な劉備は好対照だ。

名うての戦上手な曹操。名うての戦下手の劉備は徹底的に追い詰められて息も絶え絶えの状態。しかし、どこまでも忠義を貫く関羽は、決して弱音を吐かないのだった。ああ、うるわしの兄弟愛。情け身に染む熱こそ命……。

その関羽がなぜ、今劉備と離れ離れになり、よりにもよって宿敵曹操の元に身を寄せているのか。

話は少し遡る。

たぶんウソッパチだろうが、漢の皇室の血を引いているという劉備は、あるとき董承(とうしじょう)を始めとする何名かと「曹操暗殺計画」を企てる。頭痛持ちの曹操はいつも医者から薬をもらって服用していた。その薬を、ひそかに毒とすり替えれば……。という、まことありきたりな策。すぐバレる。

「おのれ、あの腕長のウサギ野郎! ヘンな顔のくせに、もう生かしておけぬわ!」

恨みの形相ものすごく、曹操は怒涛のように劉備の本拠地、徐州(じょしゅう)へと押し寄せたのだった。

一方劉備はというと、この頃、曹操の魏(ぎ)のすぐ近くには袁紹(えんしょう)の大勢力があって、曹操はその横で小さくなっている形だった。まず、袁紹がにらみをきかせている限り、曹操が軍を動かすことはあるまい――そう読んでいた。が、それが油断というもの。曹操はここぞというときに賭けに出る男だった。

土煙を上げ、雲霞(うんか)のごとく押し寄せる曹操軍。

応戦するも無駄な抵抗。義弟張飛とも戦乱の中ではぐれ、妻子すら救ういとまなく、追われ追われるうち剣すらもどこかへ失った劉備。単騎、行く当てもない。

「そうだ。袁紹の元へ逃げよう。後のことは、それから考えればよい」

着ているもの以外すべて失った彼は、こうして河北(かほく)の袁紹を頼ったのだった。

この時、関羽はどこにいたか。

彼はその時、劉備の命令を受けて徐州の要害、下邳(かひ)の城を守っていた。そこへ早馬が着く。

「ご主君の危機! 曹操の大軍と戦っておられます」

「どうか援軍を! 羽将軍!」

「羽将軍!」

劉備の命が危ないと聞いて、関羽は気が動転した。「な、何! 兄上が!」

関羽は身をひるがえすや、青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)をひっつかんだ。三兄弟が兵をあげて以来、常に彼のかたわらにあった愛刀だった。

「出陣ぞ!」

しかし、それを押しとどめる者がいた。「将軍、お待ちくだされ! 罠かもしれませぬ。ゆめ、ご油断あるな」一部の部下たちが、額を床にこすりつけて叫んだ。関羽が出陣したら城が空になる。当然の危惧だった。が、関羽は肯んじない。

「そこをのけ」朱面に目を怒らせる。「兄上が戦っておられる。わしが座しているわけにはいかぬ。罠であろうが行かねばならぬ」

城を飛び出し、敵陣へ突っ込んだ。ほんの一握りの兵で、星の数ほどの大軍の中へ……。

実は、部下たちの案じた通り、これは曹操の罠であった。細工は流々。関羽はじわじわと包囲されてゆく。

曹操はよく知っていた。万夫不当の猛将、関羽の最大の弱点は劉備であった。「劉備の危機」の一言で、彼は手も足も出なくなる。万に一つも勝ち目のない危険の中へ、後先考えず突っ込んでゆく。そして最後の時は三人で死ねばいいと思っている。

「しかし」と、関羽を完全に包囲してから曹操は左右に言った。「白状しよう。わしは以前から関羽の男ぶりに惚れぬいておる。文武に優れ、しかもあれほど忠義一途な男は他におらん。何としても関羽をわしの麾下に加えたい。あの劉備への忠誠をわしに向けさせたいのだ。殺すな。怪我なく生け捕れ」

こうして、関羽は命拾いした。決死の覚悟だった彼も、降伏せざるを得なかった。「劉備の二人の婦人は、丞相(じょうしょう)(曹操のこと)が保護されている。だが、丞相のお気に入りのそなたが死んだら、お二人もどうなるか分からんぞ」と脅されたからだった。

「兄上の消息は分からんが、死んだという知らせも聞かぬ。もし生きておられたら、わしがお二人を兄上の元にお届けせねば……」

こうして、関羽は青龍偃月刀を片手に、曹操の前に跪いたのだった。ちなみにこの刀。大きな槍の形をしていて、刃の部分が特別大きい。「偃月」というのは半月より少し細い月のこと。「細い月の形の槍」という意味だ。月にはあまり似ていないが、無理やりこじつければ、まあ、そんな形をしている。

実はこの刀、実在していない。人気が高すぎてカッコいい関羽のために、後世勝手に創作されたフィクションの武器なのだ。もし、本当にこの刀を作ったら、大体二十キロあるそうだ。天下の猛将だから、二十キロの武器を一日中振り回しても平気。三国志のヒーローは、それくらいの芸当はできるのだ、ということにしておこう。

話を戻して、念願の関羽を手に入れた曹操は狂喜乱舞。「今日は実に愉快な日だ。わははは……」と地に足もつかないほど舞い上がったが、そんな早々に関羽は一本トゲを刺す。

「丞相、もし兄上の消息が分かれば、その時はもうお側におりませぬ。千里万里のかなたでも駆けつけます」

「よいよい、さすがは義に厚い将軍。承知しよう。二言はないぞ」一抹の苦みを覚えつつも、内心を隠して答える。

何、劉備が生きている保証はない。またもし生きていたとしても、手厚くもてなし、誠を尽くせば、長い時間はかかっても必ず心を動かせるはずだ――。曹操はそう考えていた。

そして、それからの曹操の関羽に対する盲愛ぶりは、歴史に残るぼどだった。

降伏した将軍を豪邸に住まわす。事あるごとに贈られる品々。錦、絹、金銀の器物。珠玉など、何匹もの馬に載せて贈った。

三日に一度は小宴、五日に一度は大宴を開く。それもただただ、関羽の姿を見ることを楽しみに開いた宴であった。その宴で、選りすぐった十人の美姫を舞わせて贈ったこともある。

しかし、当の関羽はニコリともしない。

金銀をもらっても、そのままポイと劉備の二夫人に献じてしまう。宴に出席しても、いやいやながらという風情。女を見ても目は楽しまず、美酒を飲んでも舌はいたずらに苦いばかり。曹操のまぶしいばかりの歓待に頭は驚きつつも、心は常に劉備の上に会って動かなかったのだ。

いつの日もいつの日も――心は桃の花の季節へと飛んでいく。劉備、張飛と三人で、花の下、盃を交わしたあの日に。貧乏のどん底の安酒。けれども義兄弟の誓いを交わしたあの酒は極上の味がしたのだ。今、贅をつくした宴の中で手にする美酒よりも。

いつまでも心を開かない、関羽のこうした態度は、曹操麾下の他の武将たちの嫉妬を買った。

「丞相はまったくどうかされたのではないか」

「命を張ってきた俺たちよりも、降伏してきた将軍のほうが待遇が上だ」

しかし、曹操はこれらの不満の声など気にも留めない。その他大勢の苦情などないに等しい。それどころか、なかなか自分になびかぬ関羽の姿がいよいようるわしく好ましい。

「これほどの歓待を受けて、なお故主を忘れぬ。ああ、彼こそ真の英雄。清いばかりの男ぶりよ。見上げた義の心よ」と、慕う心は募る一方だった。

暖簾に腕押し。糠に釘。まるで手ごたえなく、相手がつれなければつれないほど、恋心は以上に高まるもの。それが恋の力学。方程式だ。

いかに心を尽くしても劉備を忘れぬ関羽に、曹操はひとり決意を固める。「今に見よ。必ずその鉄の心を動かして見せる。そうだ、いかな関羽でも、あれを贈ってやれば……」

新たにサプライズプレゼントを思いついた曹操。今度こそ関羽をなびかせて見せると、体育館裏で告白しようとする中学生よろしく、ウキウキと思う人を招いた。


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問い合わせ先merucurius4869@gmail.com

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