【三国志】小覇王(しょうはおう)の孫策(そんさく)

2019年6月4日

はっきり言って、三国志に登場する人物は奇妙奇天烈な顔が多い。
まずは三国志の主役ともいうべき劉備玄徳(りゅうびげんとく)。彼は「大耳君(だいじくん)」とか「ウサギ野郎」とかあだ名されるほど、大きな耳の持ち主だった。しかも腕が異常に長くて、下に垂らせば膝に届くほどだったという。ハリウッド映画に出てくるエイリアンもかくや……。

それから、劉備の義兄弟にして忠実なる部下、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)。

関羽は黒々と長いひげを、腹のあたりまで伸ばしていた。当時長いひげは人気だったが、関羽ほど長いひげは他に誰も持っていなかった。顔は朱を注いだように赤く、眉は蚕のよう。目は鳳眼(ほうがん)と言って、鳳凰(ほうおう)の目のように細かったという。そんなに細い目で、戦場で縦横無尽に戦えるのだから、やはり神様になる人間はどこか違うのだ。

張飛は虎のように逆立ったひげ。目はドングリのように真ん丸。口はくわっと開けると牡丹の花のようだった。

この三兄弟が並んでいるだけでも、十分に珍しい光景だが、他にも注目すべき顔は大勢いる。

たびたび登場する曹操(そうそう)は、その大人物ぶりからは想像しにくいほど小男だった。目はこれまた鳳眼。小男の上に鳳眼では気の毒なほど貫禄に欠ける。本人も自分の風采がさえないことをひそかに憂えていたらしい。自分の顔を知らない相手には、カッコいい見た目の影武者を代理に会わせていたというのだから、天下人にも悩みは尽きないものだ。

そして何と言っても変な顔の集大成ともいえるのは、呉の皇帝となる孫権(そんけん)だ。彼は顎が異常に広くて、その分口も大きかった。中国人なのに目は青く、驚くなかれ、ひげは何と紫色だった。すでに人間からはかけ離れて、イギリスのエルフのような容貌である。

なぜこんなに、異類異形が多いのか。

わたしが大学生のころ、東洋考古学を学んでいたのだが、その教授がこんなことを言っていた。「古代中国では、皇帝や英雄など特別な人物は、どこか特別な特徴を体に持っていると考える伝統があった。だから、神話に出てくる皇帝なんかは、人間とは思えない顔をしているだろう」

どの皇帝だったかは忘れてしまったが、「目は縦なり」という皇帝がいた。「目が縦って、どういうことだろう……。不気味すぎて考えたくない」と、悶々と考えていたのを覚えている。

縦の目は置いておいて、とにかくこういう考えが古代の中国には根強くあって、それゆえに三国志の英雄たちは「この人たちは特別なんだから……」と、その容貌をこれでもかと誇張され、改造されて今に至るのだろう。

けれどもこの変顔の群れの中に、彗星を発見するくらいの確率で、美しい顔の持ち主もいる。

すでに「五原の呂布(りょふ)」で語った呂布。それから呉の大都督の周瑜(しゅうゆ)。そして、紫のひげの孫権の兄、この章の主人公孫策(そんさく)である。

孫策。呉(ご)の二代目の国主である。

三国時代はその名の通り、中国の広大な国土が魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉の三国に分かれていた。一つの巨大な円を想像されたい。魏は円の上半分。蜀は下の半円を二つに割って、その左側。そして呉は右側に当たる。

これでお分かりの通り、呉は中国の南方の地。長江緩やかなる流れの、雨多く水豊かな土地だった。

南船北馬(なんせんほくば)という言葉がある。これは中国の風土を的確に示した言葉で、北は乾いた土地なので馬で移動する。南は水路が栄えているので船で移動するという意味だ。広大なる長江の懐に抱かれ、たやすく攻め入ることはできない土地。軍は水軍が主で、おびただしい軍船を呉は誇っており、日々長江で鍛え抜かれた水軍は、中国で最強を自負していた。

この強大な呉の国主は、孫策の父孫堅(そんけん)。

孫堅は、氏素性は例によってよく分からない。兵法家で有名な孫子(そんし)の子孫だ、と本人は言っているが、多分はったりだろう。しかし豪傑で豪快な人物だったことは確かだ。論より証拠。英雄、色を好む。まだ三十代なのに、奥さんは三人、子供は七人。でも、決して粗造濫造(そぞうらんぞう)というわけではない。この七人の中には、歴史に名を刻む者あまたいる。

孫策はその長子。孫権が最も愛した正妻、呉氏(ごし)の子であった。まさに御曹司。美形で賢く、勇気もある。孫堅はこのすべてに恵まれた愛児を、何より頼もしく思っていた。
しかしながら、こんなに優秀な男なのに、

「孫策かあ――聞いたことのない名前だなあ」

という読者も多いのでは?

それもそのはず。彼は歴史に深くその名を刻む前に、命を落としたのだ。彗星のごとく現れ、光だけを残して消えてしまった。

そしてその人生は、まさに凶星の元に生まれたかの如く、強大な運と奈落の隣りあわせであった。

では、彼の初登場から紐解いてみよう。

孫策の父、孫堅は先ほども語ったように豪傑であった。一代にして、またたくまに南部、江東の地を制した彼は、領土拡張の野望に燃えて、お隣の荊州(けいしゅう)と戦を始めたのである。荊州は中原への足掛かり。要衝である。この荊州を得ることは、呉の悲願であった。
戦の準備を進めているとき、

「父上、わたくしもお連れください。わたくしが兄弟の中で最も年長ですから」

振り向けば、長子孫策が父の顔をまっすぐに見つめながら、答えを待っている。父譲りのまなざしの強さ。口はきりりと一文字。

「頼もしいやつ」

孫堅は息子の肩を叩いて相好を崩した。愛児の勇猛さが、この猛将にはうれしかった。
孫策、このとき十七歳。白皙の額に、紅みを帯びた頬。まだ幼さの残る顔立ちが初々しい。

「こいつは、わしの自慢だ……」

ところで――孫堅には一つ心にかかる不安があった。それは以前、彼の息子たちの運命を占った者の予言であった。「孫家の兄弟は、いずれも才能がある。が、どれも短命であろう。天寿を全うして終わることはできまい。一人、孫権を除いては」

では、この子孫策の運命は――。愛してやまない十七歳の長男の初陣に、ふと父は心が曇るのだった。

戦は始まった。激戦。さすが荊州の城は要害。さしもの呉軍も攻めあぐね、気短な孫堅は牙を噛んだ。

と、そこへ。夜の闇に紛れてひそかに城外へ抜け出した兵士の一団がある。荊州の城主劉表(りゅうひょう)が、かねてよしみのある袁紹(えんしょう)の元へ援軍を乞うためである。

「やらじ」と、孫堅が追う。彼は獅子の如き猛将であった。部下の制止も聞かず、駿馬を飛ばして駆けに駆けた。

山道に差し掛かった。足元が暗く、思うように進めない。

その時。

轟音を立てて崩れてくる、おびただしい巨石。敵兵が断崖から突き崩したのである。

「あッ」

叫び声も、誰にも聞こえなかったかもしれない。孫堅は岩の下にその命を散らしてしまったのだった。

孫策は何も知らなかった。朝になっても帰らぬ父を探して、案じていた。その彼の元へ、矢継ぎ早に伝令が来る。

「ご主君がご落命に!」

「ご遺骸は敵兵に奪われました!」

「な、何?」

耳を疑う言葉。驚愕しながらも、にわかには信じられない。

荊州の兵は、「それッ。この機を逃すな」と、小躍りして襲ってくる。

孫策は必死に応戦するも、突然大将を失ってしまった兵たちはすでに戦う気力もない。逃げまどい、打たれる者数知れず、みじめな敗戦を喫したのだった。

「ああ!」

尾羽打ち枯らし、彼は涙にむせんでうめいた。「このみじめな敗戦。父の遺骸は敵に奪われたまま。手厚く葬ることも叶わず、なんでおめおめと故国に帰れようか。母に会わせる顔がない」

敵の捕虜と引き換えに、何とか孫堅の遺体だけは取り返し、後ろ姿も悄然と故国へ帰った孫策。彼を励まし、力になろうとする家臣も中にはいたが、弱きを去るのは乱世の習い。一人、また一人と次々に孫策の元を去っていく。孫堅という主柱を失って、孫家兵団は風の前の落葉のように崩れ去ったのであった。

話のついでに。孫堅の死で幸運にも命拾いした、荊州の城主劉表はその後どうなったのか?
この劉表、同じ劉姓のよしみでこの後敗戦でボロボロになった劉備をかくまったりと、何かと重要な役割を果たすのだが、人間としては愚痴っぽいうえに、自分の娘くらい年下の美女に入れあげるなど、とんでもない色気じじいであった。最後は正妻の子と妾の子との間でお家騒動となり、荊州は曹操に乗っ取られてしまうのだ。天罰であろう。

荊州は天下の要害。荊州を手に入れた曹操の次なる目標は、お隣の呉。こうして曹操と呉との間に起った戦いが、三国志でもっとも名高い、「赤壁(せきへき)の戦い」なのであるが、それはまた後に語ろう。

話を元に戻して――わずか十七にして父も主だった家臣もすべて失った孫策。家族とも別れ、母や幼い弟妹たちは、田舎の身よりに預けた。自身は一人、亡き父と交わりのあった袁術に身を寄せることになる。

さてここからが、孫策の太く短い人生の始まりである。

この袁術という男、ケチが服を着て歩いているようなもので、自分の身内ばかり可愛がり、孫策のことはこき使うだけこき使って、相応の身分すら与えてくれない。

「こんな男の元にいても、何の益もない。早く自立して、亡き父の志を継がねば」

彼は親譲りだった。地に落ちても輝きを失わず、全て失くしてもゼロから立ち上がる不羈の魂を持っていた。袁術の元で冷遇に耐えながら、それでも腕を磨き、学問に精を出し、着々と力を蓄える孫策。ついに独立を決意する。

彼が成人するのを、血を吐く思いで待っていた家臣たちは口々に言った。

「御曹子、お起ちなさい! 不肖ながら、我は真っ先に力を添えますぞ」

孫策はぐるり彼らを見回して「よし。我と思わん者は続け。我が大望に力を貸したまえ」

このとき、孫策二十一歳。袁術の元を飛び立ち、故国呉の地に羽ばたいた。両翼、両足を縛られていた猛禽。一度空にはなたれれば、獲物を捕らえずしてその爪を収めることはあるまい。

快進撃に次ぐ快進撃。その中で、思わぬ出会いもある。


気になる続きは内緒!出版を目指しています。どなたか、編集してくださる方、そういう人を紹介してくださる方、ご連絡ください!

問い合わせ先merucurius4869@gmail.com

【関連記事】 【三国志】五原の呂布
【三国志】傾国の貂蝉
【三国志】小覇王(しょうはおう)の孫策(そんさく)
【三国志二つの顔の周瑜(しゅうゆ)
【三国志】閑話休題、三国志キャラの髪形について
【三国志】片恋の曹操(そうそう)
【冗談三国志】劉備の息子、阿斗が暗愚な理由!黒幕は趙雲だった!

出版した本

三国志より熱を込めて三国志より熱を込めて 通勤時間で読める三国志
ショートショートのエッセイで書き下ろした三国志。 呂布、孫策、周瑜、曹操、馬超、劉備などの英雄たちの人生を、ショートショート一話ずつにまとめました。 英雄たち一人一人の人生を追いながら、三国志全体のストーリーに迫ります。
あなたの星座の物語あなたの星座の物語
星占いで重要な、黄道十二星座。それぞれの星座にまつわる物語を詳しく紹介。 有名なギリシャ神話から、メソポタミア、中国、ポリネシア、日本のアイヌ神話まで、世界中の星座の物語を集めました。
曽我兄弟より熱を込めて曽我兄弟より熱を込めて
日本三大仇討ちの一つ、曽我兄弟。鎌倉時代初期、源頼朝の陣屋で父の仇討ちを果たしたという、実際にあった大事件です。戦前は誰一人として知らない者はいなかった兄弟の物語ですが、現代ではほとんど知られていません。 本書では、知識ゼロからでも楽しんで読めるよう、物語の見どころを厳選してエッセイにまとめました。
新講談 山中鹿之介新講談 山中鹿之助
「我に七難八苦を与えよ」と三日月に祈った名将、山中鹿之介。 戦国時代、出雲の小国尼子は、隣国毛利に滅ぼされる。主君を失った尼子の家臣は、皆散り散りに――。しかし、ただ一人、山中鹿之介は主家の再興を目指して、ひたすら戦い続けるのだった。 戦前、講談で大人気を博した山中鹿之介の人生。兄から託された三日月の兜(かぶと)、鹿と狼の一騎討、布部山の大戦、上月城の壮絶な最後など、見どころを厳選してまとめた、新しい講談本。