【三国志】五原の呂布(りょふ)

2019年6月4日

在りし日の息吹を感じたいと思うなら、一度、大陸へ渡るに、海路船で上陸するとよい。飛行機が便利で、ついつい北京空港へひとっとびで行ってしまうが、本当に大陸の広さを肌で知りたいと思うなら、黄河(こうが)、あるいは長江(ちょうこう)へ、船で分け入ってみることだ。海と見まごう大河の雄大さは、その目で見ないことには分からない。

三国志演義の主役ともいえる劉備玄徳(りゅうびげんとく)は、黄河を臨んで「ああ、雄大な流れだ!」と感嘆した。中央アジアの砂漠の砂が混じり、滔々(とうとう)と流れるその黄色い河は、海にたどり着くその終点あたりで、黄色と、海の青い色が真っ二つに分かれる。不思議な現象だ。現代人にも奇異に思われるこの眺めを、古代の人々はいかなる畏(おそ)れを抱いて見たことか。この神秘で、気が遠くなるほど長大な流れを見ていると、三国志に登場する英雄たちが、かくも大胆で、途方もない夢を追ったのも、この広大無辺な風景を見慣れていたからではないかと思われる。

中国五千年をはぐくんだ黄河と長江。三国志、群雄並び立つ乱世は、この二つの大河のほとりで繰り広げられた。大河の周辺を飾るように、星のように転々と、洛陽(らくよう)、長安(ちょうあん)、徐州(じょしゅう)と、それぞれに歴史とエピソードを抱いた都市が散らばっている。三国志は今から千八百年前の話で、わが国ではまだ卑弥呼の時代であるから、今とは名前の異なる都市もちょくちょくある。

この章の主人公、呂布が三国志演義に最初に登場するのは、黄河のほとり洛陽である。

洛陽にはこんな詩がある。

――人中に呂布あり。馬中に赤(せき)兎(と)あり。

赤兎とは千里を駆けるという、当世一の名馬、赤兎馬(せきとば)のこと。赤い毛並みだったので、この名がついたらしい。呂布の愛馬である。速いのはもちろんのこと、いくら走っても疲れないパワフルな馬で、戦場に出ればその蹄(ひずめ)で幾多の兵たちを踏み潰すという。ただし、気も大変荒いので、呂布レベルの英雄でなければ触ることもできない。

そして人中一の勇士は呂布。三国志には五百を超す英雄たちがいるが、その中で最強と言われる男である。とにかく圧倒的に強い。愛用の武器は方天画戟(ほうてんがげき)。騎兵を率いる将軍としても有能だった。

しかしながら、三国志を少しでも読みかじったことのある人なら誰もが知るように、この頃、曹操(そうそう)、劉備、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)と、綺羅星のごとく大人物がいた。映画や芝居で活躍するのも、大体この人たちだ。呂布は「最強の戦士」でありながら、いまいち主役級ではない。中心に立てない。曹操が五つ星なら、呂布は三つ星といったところか。
主役にはなれないけれど、けれどもすこぶる重要なカギを握るわき役。華々しく暴れまわり、生々しく爪痕を残す嵐のような男。それが呂布の人生だった。

ともあれ、呂布の生涯をひも解く前に、まずは青年呂布がいたころの洛陽について、少し説明を加えねばなるまい。

この頃、王朝は後漢の末――と言っても、王朝は風前の灯火。春の夜の夢のごとしだった。天子はいるにはいるが、人形同然。あってもなくても同じ。実際に政権を握っているのは宦官(かんがん)だった。宦官とは、天子の奥さんたちががいる後宮で働くために、人為的に生殖器を切り取った「元男性」のことである。わが国にはいなかったが、アジアでは昔からこの制度が栄えた。中国のほかには、トルコのハーレムも有名だ。彼らは男性の楽しみを失っているので、わいろをもらって懐を肥やす傾向がある。

しかし、草葉の陰には、四百年続いた漢王朝の行く末を案じる名もなき英雄たちがたくさんいた。彼らは宦官がのさばるこの状態が面白くない。許しがたい。ついに、袁紹(えんしょう)、袁術(えんじゅつ)、曹操、董卓(とうたく)ら名だたる武将たちが城内に押し入り、「宦官皆殺し作戦」を決行したのだった。その様子はまさに地獄絵図。城内中の通常の男性たちが、宦官に間違われないよう、衣服の前をはだけて逃げまどっていたというのだから、その時の混乱がいかにすさまじかったかしのばれる。

この戦いに活躍し、一躍時の人となって政権を握ったのが、董卓だった。

だがこの董卓、漢王朝を助ける志などさらさらなかった。かれは混乱に乗じてのし上がりたいだけの奸雄だったのである。

「天子はわが手中にあり! 洛陽は意のままぞ!」

邪魔な連中はかたっぱしから追い払う。あろうことか、天子も邪魔だったので片づけて、幼い弟の劉協(りゅうきょう)を即位させる。このとき劉協はまだ九歳。幼いながらに聡明だったので、苦しみも倍したらしい。天子の目前で目障りな官僚を血祭りにあげ、ちょっと見目好い宮女は妾にするというありさま。劉協は幼さゆえの無力さに涙し、さんさんたる唇を噛むしかなかった。この少年天子こそ、漢王朝のラストエンペラーとなるのだが、それはまた別の話。

董卓が天子と洛陽を乗っ取ったので、「宦官皆殺し作戦」を一緒に行った袁紹、袁術、曹操らは面白くない。反董卓連合軍を組織して立ち上がった。

呂布が現れたのは、ちょうどこのころである。

董卓は洛陽を独り占めしたい。反董卓連合軍をやっつけなければならない。そのために強い軍隊が必要だった。

董卓が目を付けたのは、洛陽を警護する警察的役割を担っていた「金吾兵(きんごへい)」である。当時金吾兵を取り仕切っていたのは、丁原(ていげん)という男。呂布はその部下であった。

当時呂布は、おそらく二十代だろうと想像されるのだが、生年が定かでなく、よく分からない。丁原に出会う以前、どこで何をしていたかもつまびらかでない。明らかなのは、五原(ごげん)出身であること。腕を買われて、丁原のもとでとんとん拍子に出世したというくらいである。おそらく、孤児であった、と言われている。

丁原も十分に有名人だったが、部下の呂布はさらにもっと有名人だった。やたらめったらに強い。狼将軍の異名を持ち、彼が出る戦は負けることがないという。

「奴がいれば天下は取ったも同じ。さて、どうやって呂布を我が配下にするか――」

呂布の武勇にほれ込んだ董卓はもみ手をして考える。

「わしの部下にならんか。丁原の首とその軍隊を連れてくれば、騎都尉(きとい)に取り立ててやる。ついでに、当世一の名馬、赤兎馬をプレゼントするぞ」

おいしい条件をちらつかせてスカウトにかかった。騎都尉とは、超名門の出でもなかなか手の届かないエリート高官。まして、いかに武勇名高くとも田舎っぺの呂布には、一生かかっても望むべくもない位だった。

呂布は何を考えたろう?

登場ついでにもう一言、彼の容貌について。

日本ではゲームや小説の影響で、ごつい大男とイメージが定着している呂布。おそらく、「最強の戦士」なら、体も大きいはず、と想像されたのだろう。しかし正史によれば「眉目清秀」。整った顔立ち。涼しげな二枚目だったらしい。色白で、冷たいまなざしを持っていた。

甘い言葉で誘いをかけても、特に変化のない呂布の顔に「もう一押しかな?」と、董卓が考えていると、まもなく

「ほう、そうか」

とばかり、アッサリと呂布は丁原の首をぶら下げてやって来た。

「約束の首ですぞ」いきなり、いとも無造作に董卓の前に首を置く。「オオ、それは……」と、かえって董卓のほうがうろたえた。

あるじを殺して首を持ってこい、と言われたら、たとえ本心が違っていたとしても、普通なら「そう簡単に殺せるか!」と、ある程度の抵抗があってしかるべきだろう。けれども呂布にはそれがない。

「して、金吾の兵は?」ようよう気を取り直した董卓が聞く。

「言うまでもありません。すべてわたくしに従います」

「一兵残らず?」

「一兵残らず」

それまで無表情だったその顔に、初めてニヤリと笑みが浮かぶ。狼に似た微笑であった。

こうして、呂布はいけしゃあしゃあと董卓の側近となり、エリート高官になったのだった。そして同時に、「あるじ殺し」の不名誉な異名を得る。

「あるじ殺しめ。呂布の奴、信じられない悪党だ。武勇のみで道に外れた奴だ」

周囲は口を極めて罵った。が、当の本人はケロリとしたものだった。

なぜ?

この勇猛児は、どういう性格の男だったのか。

正史を書いた陳寿(ちんじゅ)によれば「虎の強さを持ちながら英略を持たず、軽はずみで狡猾で、裏切りを繰り返し、利益だけが眼中に有った。彼の如き人物が歴史上破滅しなかった試しはない」と散々な言われよう。

残酷で一本気。目先の欲にとらわれて、行き当たりばったりに人殺しを繰り返す奴。というのが、一般的な見方のようだ。

しかし、それだけではあるまい。わたしの考えを言わせていただくと、彼がアッサリと裏切り行為を働くのは、彼の産まれに寄るところが大きいのではあるまいか。

実は、呂布は漢民族ではない。五原の出身――モンゴルの騎馬民族なのである。「神技」と評されるほど馬術がたくみだったのも、胡砂吹く草原を駆け巡ったからだろう。

中国とは比較にならないほど、弱肉強食の掟が強いモンゴルでは、裏切りなど日常茶飯事。親兄弟だろうと、妨げになれば殺して当然。とにかく、強い者につく。それが、厳しい世界を生き抜く知恵なのである。そして呂布は、この騎馬民族の血と魂を、色濃く宿していた。

「董卓についた方が得だな。丁原に従っていても、この先伸びしろはないからな……」

この一本気な男は、無邪気とも言える単純さででこう考えていた。

世間の最悪な評価はともかく、董卓とは割とウマがあったらしい。類は友を呼ぶ。残酷な者は残酷な者同士……。

董卓は漢四百年の歴史で最低な巨悪と言われている。流血を好む彼は、宴を開くと、罪人を何人も連れてこさせて、まず手を切り足を切り――という調子で、身の毛もよだつ見世物を楽しんだ。また、洛陽に住む金持ちを片っ端からあの世に送り、その財産を没収。懐を肥やして悦に入っていた。当然出てくる不満分子は、呂布が直ちに斬って捨てた。

各地では董卓の暴挙に怒り、反乱が相次ぐ。ここで呂布は大いに無敵の腕を振るった。武勇絶倫の彼。いかに大群が押し寄せようと、赤兎馬にまたがり、無人の野を行くがごとく。「飛将」の名をほしいままにした。

もしかしたら、この頃が呂布にとって、一番幸福な時代だったかもしれない。董卓の人非人すぎる人格は置いておいて、彼が呂布の武勇をことさら愛していたことは確かで、呂布を自分の養子にし、自分を「父上」と呼ばせていた。

しかし悲しいかな。元々が粗暴で酷薄な二人。蜜月の時は長くは続かない。董卓もまた、呂布の凶刃に倒れる運命にあった。

ことの発端は、あろうことか女の問題だった。一人の美女、貂蝉(ちょうせん)。董卓の寵姫である。あるじの女に手を出せば、命はあるまい。しかしこの男、多分に動物的なところがあった。物事を深く考えるのは嫌いだった。戦の天才で、戦のことならいくらでも考えられるけれど、他のこととなると、動物的な直感だけに頼って行動していた。その直感が鋭いので、批判を浴びつつも生き抜いていけるのだが……。

貂蝉は美しい女だった。長い髪は夜の色。瞳は輝く星のよう。呂布は元来が軍人らしく一本気なので、ひとたび思慕の炎に駆られると、もう矢も楯もたまらなくなる。昼は彼女のいる館の空を眺め、イラつくと他人に当たり散らし、夜は夢の中で可憐な姿を追う。こうなればもう何も手につかない。

春の盛り、柳の緑の糸も鮮やかな庭園で密会した。貂蝉は彼の呼びかけに応じた。腕も折れよとばかりに細い彼女の身体をかき抱いた。

と、そこへちょうど董卓が館へ帰ってくる。あるいは、彼は近頃愛臣の様子がおかしいことに疑問を抱いていたのかもしれない。庭園で抱きあう二人を見つけて

「この裏切り者め! わしの寵姫に何をするか! そこになおれ!」

激昂して戟を投げつけた。董卓も実は怪力の持ち主で、名高い武将だった。しかし相手は鬼神と呼ばれる呂布。とっさに体をかわして、風のごとく逃げてしまった。貂蝉は黒髪も乱れて、地面に突っ伏して泣きぬれる。

この麗しの貂蝉もまた、大した女で、呂布と董卓の間で大活躍をするのだけれど、それはまた別の話……。

脱線ついでにもう一言。古来、美形の家臣が主君の妃と恋仲になる物語は多い。トリスタンとイゾルデ、ランスロットとグヴィネビアなど有名どころだろう。

こうしたケースはたいがい、主君がなかなかいい人で、家臣が「俺は裏切り者だ」と涙するところが見どころなのだけれど、呂布と董卓の話ではそれが全然ない。董卓は「いい人」どころか大悪党。呂布は涙一つ流しはしない。このようなラブストーリーは、結構珍しいのではあるまいか。

とにかく、呂布はトリスタンのように、地べたに突っ伏して嘆くほど、ナイーブな青年ではなかった。

「殺される前に殺らねば」

決断するとすぐ実行する。割り切ると酷薄な男だった。

実行のチャンスは、割と早く訪れた。呂布は文官の最高職、司徒(しと)の王允(おういん)と手を組み、天子に奏上するために参内した董卓に襲い掛かる作戦を立てた。

何人もの兵士が、董卓の乗った車を襲う。董卓は絶叫する。

「呂布! 呂布はおらぬか。わしを助けよ!」

呂布がひらりと駆けつける。助けるためではなかった。董卓は呂布の方天画戟にのどを貫かれて死んだ。

さて、天子をも操り人形にした董卓が死ぬと、問題は董卓の下にいたおびただしい数の軍隊だ。多くは、董卓の本拠地、西涼(せいりょう)の兵士だった。

――彼らをどうするか?

王允ら高官たちが、この問題を論じたとき、同席した呂布は「ことごとく殺すべし」と、にべもなく言った。

「何ですって……」王允は思わず言葉に詰まる。「数万の兵ですぞ」

「董卓に従っていただけで、彼らに罪はありませんぞ。将軍」

「ふむ、なるほどな」呂布はちょっと考えて、「それなら将校以上の者を殺せばいい。どうせあいつらは涼州の兵だ。どうなろうが俺の知ったことじゃない」

この男は鬼に違いない……。居並ぶ高官たちは、不気味な思いで見つめたことだろう。

文官の王允たちは知らなかったが、呂布は自分と同じ、騎馬民族の兵士しか愛していなかった。漢人でなく、異民族の彼は、軍隊の中で浮いた存在だったらしい。

「俺には直属の、五百人の五原の兵士たちだけいればいいんだ。奴らはいずれも騎馬の名手だ。手足のごとく信じられる。奴らがいれば、俺はどんな戦にも勝てる……」

呂布の意見は取り上げられず、論議は長々と続いた。続くだけで、決着はつかない。ぐだぐだと話し合っているうちに、事態は一変する。董卓という大将を殺され、不安に殺気立つ軍隊はクーデターを起こして、都を陥落させてしまったのだ。王允は城壁から飛び降りるという劇的な最期を遂げる。血気はやる兵士たちは天子を生け捕りにした。またもやとりこの身。この少年天子も、つくづく星のめぐりあわせの悪い人物だった。

呂布はこの時城内にいた。「だめだ」彼はとっさに判断した。敵兵は十万。手勢は五百。

「勝てない。都は守れない」

その場で、部下に命じた。「赤兎をひけ! 都から脱出するぞ!」信用する五原の兵だけを連れて、血路を開いて城門から脱出した。ああ、背後では都の空が赤黒い。壮麗な宮殿が焼け落ちていく。追手はまだ来ない。今はただひたすら、都から落ちてゆく。馬に鞭を当て、遠くへ、遠くへ……。

そしてそれからが、呂布の短い人生の、悲惨な後半生の始まりだった。

董卓を殺した呂布――その雷名は天下にとどろき、比類なき大勇は隠れもない。彼くらいの武将であれば、どこへ行っても引く手あまた、のはずだった。

だがしかし、もう一つの評価が、どこまでもついて回ったのである。「丁原に董卓、奴は二人もあるじを殺している。信用できる人間じゃない。稀代の豪傑だから、役には立つだろう。利用するだけ利用して、用が済んだら殺してしまおう」かくして、各地を転戦して回る日々を何年も送らねばならなかった。

最初に訪れた袁術のところでは厄介者扱い。元来気が短いので、早々に飛び出してしまった。

落ちぶれても、将としての腕は確かなので、歓待は受ける。河北の袁紹のところでは、一万の黒山賊を討伐するよう頼まれ、それを手勢の数十騎で打ち破った。しかしここでも、「奴が他の勢力に寝返ったら一大事。今のうちに殺してしまおう」

刺客を送られ、危うく殺されそうになった。危機一髪、赤兎馬にまたがり、大雨の中、一晩中走り続けて、また当てもない旅へ……。

曹操とは一年以上にわたって激戦を繰り広げ、一度は曹操の首をあと少しで取るところまで追いつめた。この時は突如イナゴが大発生。イナゴが地区一帯の食料を、麦の一粒に至るまで食い尽くしてしまったので、戦いどころではなく、ほうほうの体で両者逃げたのだった。
脱走、また脱走。何度目の放浪か。仕えるあるじは何処にいるか。

「いいかげん、どこかに落ち着きたいものだ……」

疲れを知らぬような呂布も、ため息をつき、独りごちたかもしれない。

話のついでにもう一言。

呂布を殺そうとした袁紹はどうなったか? 彼は大変な名門の御曹司だったが、それを鼻にかけて人の意見を聞かないところがあった。部下に見放され、あるいは忠実な部下を誤って死に追いやり、ついに宿敵曹操に大敗を喫してしまう。袁紹はこのショックで、血を吐いて死んだ。これと時間は前後するが、彼の弟、袁術も死ぬときに二リットルもの血を吐いたというから、憤死しやすい一族だったのかもしれない。

話を戻して、呂布が放浪の果てに、ついに流れ着いた先は徐州であった。

当時徐州を支配していたのは劉備。後に、天才軍師諸葛孔明(しょかつこうめい)を幕僚に加え、蜀(しょく)の皇帝になる人物である。三国志の「三国」とは、中国が三つの国、魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)に分かれていたことを言うので、つまりはこの劉備こそ、三人の皇帝のうちの一人となるのである。

でも、呂布が訪れたこの時の劉備は、まだ諸葛孔明と出会う以前なので、まだ日の目を見ず、ただの弱小勢力に過ぎない。

はじめのうちこそうまくいっていたようだが、やがて呂布は劉備と仲たがいして徐州を乗っ取る。このくだりについては、ウラで曹操が糸を引いていたとか、袁術が怪しげな密書を送ったとか、劉備は劉備でしたたかに立ち回っていたとか、本当にいろいろあるのだが、ここでは割愛させていただく。

三国志の第一の見どころは、無論派手な合戦にあるのだが、裏でのこうした智謀を駆使した駆け引きも、また見逃せない。乱世の英雄は、武勇に優れ、かつまた抜け目のなさも持っていなければならなかった。

この呂布による徐州乗っ取りに、最も危機を覚えたのは誰だろう? 徐州をとられた劉備ではない。曹操であった。

曹操はかつて董卓が「宦官皆殺し作戦」を決行したときに、一緒に戦った英雄の一人であるが、この頃大勢力に成長して、なかなか羽振りがよかった。

曹操は以前、反董卓連合軍で劉備と一緒に戦ったことがある。そのとき「今に世に出る男だ」と思った。また、呂布とは一年以上熾烈を極めて戦い、あやうく命を落としかけた。その恐ろしさも忘れられない。

「劉備と呂布が、万が一手を組んだら一大事。恐ろしい敵になるだろう。それほど力を持っていない今、徹底的に叩きのめさなければ」

徐州を追い出された劉備が、曹操と組む。徐州に押し寄せる、天をも覆いつくすかと見える大軍勢。呂布の軍は迎え撃つも次第に押され、味方の裏切りもあり、ついには下(か)邳(ひ)城に籠城する。

城はたやすくは落ちないが、ぐるり囲まれて、押すもならず、引くもならず。

「どうしようか?」

進退窮まって、呂布は参謀陳宮(ちんきゅう)に相談する。

「袁術に援軍を頼みましょう」

「俺は奴と仲が悪い。奴が援軍を出すかな?」

「将軍には娘がいるでしょう。袁術の息子に嫁に出すのです」

「そうか。娘を……」呂布には結婚適齢期の娘が一人いた。適齢期といっても当時のこと。まだ十三歳である。二枚目の父親に似て美少女だが、まだ痛々しいほど幼い。

(心配だ……)決断すると早い呂布が、この時は迷いに迷った。

丁原を殺した呂布。董卓を殺した呂布。しかし、愛娘のこととなると、驚くほど優柔不断で情が深かった。

おかしなことだが、この心のもろさが、鉄面皮の彼に人間味を与え、人物としての味わい深さを醸し出している。戦場に立てば鬼神の彼が、貂蝉の、五原の兵の、愛娘の前では鬼神の座から引きずり降ろされて、ただの人間になってしまう。しかし、この情の深さが、一個の人間としては魅力でも、武将としては致命的な欠陥だった。

散々迷った挙句、ようやく決意を固め、「よし、俺が行く。俺が娘を送っていく」乙女を鎧の背に縛り付け、赤兎馬にまたがって、二重、三重の敵陣を突破して、単騎、血路を開こうと考えていた。

普段の彼なら、もしかしたら可能であったかもしれない。

だが――。

ヒュウッと矢が鳴り、顔の近くをかすめた時、幼い娘が身を縮めて叫んだ。「怖い! 怖い! お父様、助けて……」哀れな、胸を引き裂く悲鳴に、無敵の両腕が止まった。赤兎馬の手綱を引き絞るだけで精一杯だった。一歩も動けなくなった。

娘は細い指で、鎧を着た父の背にしがみつく。

(行けない。これ以上進めない……)

天下の豪傑も、十三歳の娘への愛には無力であった。

この時、彼の死は決定したと言っていい。

やがて下邳城は水攻めにされ、ついに降伏。呂布はがらんじめに縛られて、曹操の前に引き出された。

敗残の身で、まだ意気軒高とした様子だったという。「縄がきつい。緩めてほしい」と偉そうに言った。

「何を言うか。貴様は猛虎だ。虎はきつく縛らねばならん」

「ほう、俺は虎か」

呂布は得たりとばかり笑って、「俺と、俺の騎兵を使わないか。あなたが歩兵を率い、俺が騎兵を率いる。向かうところ敵なしだぞ」大変な自信家だった。縛られてなお、自分の武勇を曹操は無視できないと確信していた。

この時、曹操もかなり心を動かされたようだ。彼は有名な人材コレクターで、有能な人物を見るとすぐにホレて、自分の周りにかき集めたがる癖があった。特に呂布は、かつてコテンパンに負けて、その恐ろしさは身に染みていた。

しかしこの時劉備が、「何を迷っているのです。この男は二人もあるじを殺したのですぞ」
と進言した。そこで曹操は、ハッと傾いていた考えを打ち消して怒鳴った。

「処刑しろ」

縛られたままで、処刑されてしまった。生年が不明なので、死んだ年齢も分からない。

以上が、大急ぎで語った呂布の生涯である。最強の男ながら、「あるじ殺し」「狼性がある」と、はなはだ評価は低い。中国ではまことに人気がない。

一方で、娘への愛に負けたり、貂蝉への恋を貫いたりと、根っからの悪人ではないのでは? と、最近は見直されつつあるキャラクターでもある。

しかし、わたしがこの人物に心を惹かれるのは、色恋の物語よりも、異邦人としての悲しみを強く感じるからだ。

生涯、騎馬民族としての性格を捨てきれず、漢民族になりえなかったことに、この呂布という人物の悲劇性がある。

彼は戦って得た土地すらも、ポイと簡単に捨てる癖があった。自分と同じ、五原出身の兵しか愛さなかった。それは漢の社会に、中国という土地に、深い執着を持っていなかったからだろう。一生を中国で戦いながら、その土地も人も、愛することができなかったのだ。

彼はほかの英雄たちのように、「漢を復興する」とか、「天下を取って皇帝になる」などの明確な志を持っていなかった。ただひたすら、落ち着ける場所を探してさまよっていたように見える。

三国志の時代には、チベット兵、ツングース兵、ペルシャ兵、表には出てこない、多くの異邦人がいた。彼らもまた、信用を求めて、呂布のようにむなしく大地をさまよったかもしれない。

お話はここでおしまい。さて、呂布の愛馬、赤兎馬!この馬のランキングをつけてみたよ!

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