【三国志】傾国の貂蝉(ちょうせん)

いきなりこんなことを書くと顰蹙(ひんしゅく)を買いそうだが――三国志の男たちは、なべて人妻が大好きだ。特に魏(ぎ)を建国した曹操(そうそう)の人妻好きは折り紙付き。彼は若くて美しい人妻ばかり手に入れたがる、実に迷惑この上ないご主君だった。鄒(すう)氏(し)という美しい未亡人に熱を上げ、無理やり手籠めにしたこともある。「何と無礼な奴」と、憤激した鄒氏の甥に殺されそうになった。部下に助けられて命からがら逃げのびて……。でも部下はあえない最期。勇敢な死にざまだったが、理由は何ともお粗末だった。
劉備(りゅうび)も何人か女がいたが、皇后にしたのは劉琩の元妻だし、呉(ご)の皇帝となった孫権(そんけん)もまた、ムニャムニャ……。
ところで、人妻の魅力とは何だろう? オドオドしていない。落ち着いている。まあ、家庭を持てばどんな女だって落ち着いて当たり前だ。また、すでに男を知っているので大変ムニャムニャムニャ……。
当時の女性は十三、十四歳くらいで結婚する。十三歳の少女を手塩をかけて一人前の女性にするより、人妻をかっさらって、手っ取り早く楽しむほうがラクだ――英雄たちはそう考えたのかもしれない。彼らは戦争で忙しかったから、女性関係に関してはナマケモノだったのか。
わたしの知り合いに、「三十を超すと、十代の女の子はもう恋愛対象外。若すぎる――というか、子供過ぎてね」と言った人がいる。
「ああ、そういうものかもしれないなあ」と、妙に納得してしまった。
三国志の時代ではなおのこと。三十を超えたら、もう子供が何人もいるだろう。その年齢になって、自分の子供といくつも変わらない女は欲しくないだろう。年頃の、妙齢の、といったら、当時はもう既婚者しかいない。
しかしながら、人妻の魅力に頼らなくても、男を振り回したすご腕もいる。まだ少女と言っていいほどの若さで、英雄豪傑を手玉に取り、歴史を大きく変えてしまった女。すなわち、王允(おういん)の養女、貂蝉である。
傾国――貂蝉はよほど美しい人であったに違いない。「月すらも恥じらう」というのが、彼女の代名詞なのだから。
ある日、ある晩、呂布(りょふ)が司徒王允の館に招かれた。呂布は時の権力者、董卓の側近。日々董卓のボディーガードのような役割をしている。王允は山海の珍味と美酒で、下にも置かぬもてなしぶり。呂布はあまり社交的な人間ではなかったようだが、王允は同郷の人間であった。気心が知れている。翡翠の盃を傾けて、この日の呂布は実に上機嫌だった。
ところへ、衣ずれの音もさやかに、楚々と部屋へ入ってきた佳人がいる。射干玉の髪は高く結い上げ、白く長い首は、その髪の重さにも耐えられぬかと思うほど細い。夜の色をしたまつ毛は、花のかんばせに悩ましい影を落としている。と、ふとそのまつ毛が揺れて、その下から星のような瞳がちらと呂布を見上げた。
「将軍、わたしの娘、貂蝉です」王允が言ったが、呂布は返事もしなかった。荒くれものの武将が、一人の乙女を前になすすべもなく震えていた。
貂蝉の瞳は黒曜石の輝き。謎を秘めたまなざし。その謎がいかなるものか、呂布は知る由もない。
時は少し遡る。
その夜、憂国の士王允は、一人自宅の庭で涙を流して嘆いていた。いや、嘆きは今日だけのことではない。ここのところ毎晩なのである。彼の髪は真っ白になり、目は落ちくぼんで、十も二十も老けたようだった。
「ああ、けだものめ、董卓め。朝廷を牛耳り、天子をないがしろにするとは。奴がこの都を支配してからというもの、一日として安らぎはない。だが奴を殺そうにも、武勇無双の呂布が側にいて、誰一人近づくことすらできぬ。ああ、わしはなんと無力なのだろう。天子に申し訳ない。董卓よ、生きているうちは何もできぬが、死んだらわしは必ず幽鬼となって、貴様の心臓をつかみに行くぞ!」
ずいぶん、理路整然と嘆いている気がしないでもないが、小説なのであしからず。とにかく、王允は派手に嘆いていたのだ。
そこへ貂蝉が登場。涙を流しつつ、王允の足元に跪く。彼女はこの家の楽女であったが、実の娘同様にかわいがられて育ったのである。
「王允様、そんなにお嘆きにならないで……。ああ、わたくしが男であったなら、少しはお役に立てたでしょうに。口惜しゅうございます」
「いや、できる!」
突然、王允が膝を叩いて言った。「貂蝉よ。お前にしかできない。この漢を救ってくれ。犠牲になってくれ」王允が貂蝉の前に跪いて語ったのが、「美女連環の計」であった。
この作戦は、まず、呂布に貂蝉をやると約束する。しかし、呂布には渡さず、あざむいて董卓に渡すのである。恋する女が奪われたとあれば、呂布は悲憤慷慨するだろう。そうして二人を仲たがいさせ、呂布に董卓を討たせるのである。
だから、貂蝉が呂布に近づいたのは計画であった。
何しろ途方もなく美しい女だから、呂布は一瞬で心をわしづかみにされてしまった。王允に
「将軍に娘を差し上げよう」と言われて、恋心はいよいよ燃えさかる。残酷で知られたこの男が柄にもなく思い悩み、夜も眠れず、月も星も目に入らない。
されど恐ろしきは人の世のたくらみ。貂蝉は董卓の元へ送られてしまった。
「何だと! 相国(しょうこく)(董卓のこと)が貂蝉を召しただと? そんな馬鹿なことが!」
呂布が慌てて董卓の館へ飛んでいくと、寝殿の戸の隙間から、鏡に向かって化粧を施す美しい貂蝉の後ろ姿が見えた。
「……」
喉を突き上げる声もなかった。愛する女はすでに処女ではない。あろうことか、あるじに奪われたのだ。
董卓が貂蝉をともなって部屋を出る。一瞬、貂蝉の瞳と呂布の眼が合った。貂蝉は泣いていた。
いつもなら、怒れば狂暴そのものとなる呂布。けれどもこの時は、悲しみが心を占める割合が大きかったのか。威風凛凛たるその後姿が、今日は病人のように力なく、フラフラと館へ帰っていくのだった。
三国志演義によれば、この時貂蝉はなんと十六歳。現代ならば高校生だ。この歳で、若い呂布と五十を超えていた董卓を二人して手玉に取ったのだから大した女だ。
この状況に心を痛めて、董卓を再三諫めたのが、董卓の知恵袋の李儒(りじゅ)。
「貂蝉を呂布に譲りなさい。あの男は怒ると何をするか分からないんだから」
「ムム……。あの女はまれにみる上玉。譲るのは惜しいのう」
「呂布の武勇がなければ、天下取りは果たせませんぞ。女一人と天下と、どっちが大切なんです?」
「うむ。では呂布に譲るか……」
ところが貂蝉、「あんな乱暴な将軍にわたしをやるなんて」と泣き崩れる。
「嘘じゃ、嘘じゃ。お前は誰にもやらん。死ぬまで一緒じゃぞ」董卓はコロリと騙される。五十を超えた男に、十六歳の若い娘が本気になると、彼は信じたのだろうか? わたしはどうもこのあたりが腑に落ちないのだが、そういうお話なのだから仕方がない。
さて、董卓のボディーガードの呂布。その身は常に貂蝉の身近にありながら、声をかけることもならず、手を触れることもかなわず、恋情ばかり果てしなく募る。とうとう庭園の鳳(ほう)儀(ぎ)亭(てい)で彼女と密会し、董卓にあっさりとバレたのは先述の通り。このくだりは、貂蝉の「連環の計」の白眉ともいえる場面だ。柳の緑したたる春の庭園で、美女と英雄が人知れず泣きぬれる。この恋人たちのやるせない一場面のために、古来呂布は美形が演じると決まっているのだ。
密通はバレて、今や二人は仇敵同士。王允はここぞとばかり、悲痛な面持ちで呂布にクーデターを持ち掛ける。「将軍にこそ娘をめとっていただきたかったのに、董卓が……」と、紅涙雨のごとしの名演技。内心は、はかりごとがかなってさぞやニヤニヤしていたことだろう。
呂布は罪悪感などこれっぽっちもない。アッサリと承知し、董卓を手にかけることを約束する。呂布の方天画戟が董卓の喉に突き刺さり、ここに「連環の計」は成ったのだった。
――しかし。
疑問が残る。董卓暗殺の大立者。主役と言える貂蝉は、その後どうなったのか?
実はいろいろな説がある。ここでは有名なエピソードをいくつか。
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