【三国志】二つの顔の周瑜(しゅうゆ)

2019年6月4日

赤壁(せきへき)という土地がある。場所は長江(ちょうこう)のほとり。かつてここは呉(ご)という国だった。世に名高い「赤壁の戦い」という水上戦が行われたのは西暦二〇八年、冬のこと。言語を絶する壮絶な戦い。戦死者は数知れず。わたしの知り合いの、中国人の整体師の先生の言うことには「今も、夜には赤壁に立つと、阿鼻叫喚が聞こえるのですよ」長江の水に沈んだ、あまたの兵士たちのうめきが、今もこの地に残っているということであろうか。

三国志は最初から最後まで戦いだらけ。その中で、なぜ赤壁の戦いがことさら有名なのか。
日本の関ヶ原の戦いのように、天下分け目の大事な一戦だったということもあるけれど、何よりこの戦いの内容が、曹操(そうそう)軍二十万に対して、呉はわずか三万。それで呉が勝利を収めたという、劇的な大逆転が見どころなのである。

この呉軍を率いていたのが、大都督(だいととく)の周瑜であった。

その日、その夜、周瑜は長江の河岸に建てられた呉の陣営に立っていた。

ここからは見えないが、対岸には曹操の巨大な陣営がある。肉眼には見えなくとも、心眼にはありありと映る。百万ともいわれる大群。堂々たる巨船の群れが……。

「すべては風向きだ……」

周瑜は力を込めてつぶやく。「東南の風よ吹け。早く吹けまだ非常に若い顔を、松明の火が赤々と照らす。意志の強い口元、時に激情が走るまなざし。

なぜ、周瑜は東南の風を待っているのか。それには、ひとまず戦いの序幕から見なければなるまい。


例によって、曹操にボロ負けした劉備(りゅうび)――この大将、ひとかどの有名人で優秀な部下を何人も抱えているくせに、いつもボロ負けを喫しているのだ――が、ほうほうの体で逃げ延びた。そしていつも隣で涼しげにうちわを振っている天才軍師諸葛孔明(しょかつこうめい)に泣きつく。

「曹操はまだ追ってくる。どうしよう?」

「まあまあ、ご主君。わたしに任せておきなさい」

この孔明という男、まさに千里眼の持ち主、タイムテレビでも持っているのかと思うほど、先々のことをお見通しで、まるっきり焦るということがないのだ。この時も、大敗北したにも関わらず泰然としたもので

「わたしがひとっ走り、お隣の呉の国に行ってきます。舌先三寸で国主の孫権(そんけん)を丸め込んできましょう。そして呉に曹操をやっつけてもらうのです。うまくやってみせますから、ご主君はゆっくりしててください」

孔明には自信があった。曹操の大軍は、今や押しも押されぬ勢い。その支配は中国の北半分を占め、残る敵は今回ボロ負けした劉備と、江南(こうなん)の呉の国。

今、劉備が惨敗したということは、次なる標的は呉。それは火を見るより明らか。呉の国も、ゆめゆめ油断はできないのだ。

こうした背景がある上に、孔明には「三寸不爛(さんずんふらん)の舌」と名高い弁舌の才があった。まさに立て板に水の弁論術。誰もかれもいいように言いくるめられてしまって、訳が分からなくなり、最初に何を言っていたかも忘れてしまうほど。呉の国主孫権と、居並ぶ文官武官たちの前で「曹操の狙いはこの呉です。降伏なさるおつもりか。それもよい。膝をかがめ、憐れみを乞えば、曹操とてもまるっきり涙のないことはないでしょうから……」ある時は激しく、ある時はへりくだり、見事、孫権を言いくるめてしまう。

「孫権はうまくいった。次は……」もう一人、訪ねて意見を問わねばならぬ人物がいる。呉軍を掌握する周瑜である。

孔明は周瑜に会いに行った。――どんな人物か?

ここで、天才軍師と天才武将の二人が出会った。はからずも、この夜が長い戦いの幕開けとなることを、二人はまだ知らない。

周瑜。彼の青年期は「小覇王(しょうはおう)の孫策」で少し触れた。彼は孫権の兄孫策と親友だった。主従を超えた結びつき。世間の人はこの二人の仲を、金属をもってしても断ち難い「断金(だんきん)の仲」と呼んでいた。

そして、若くして才能を開花させた将軍としても有名だった。居並ぶ老将たちを押しのけて、二十代にして呉の水軍のすべてを任された英才だった。孫策は死に面して、周瑜に言い残した。「孫権を補佐し、忠義を尽くせ」親友の死に嘆きは一通り出なかったが、若干十八歳の国主と、呉の水軍を守らねばならぬ重責があった。いつまでも嘆いておられず、ひたすらに水軍の強化に努め、若い国主を支えたのである。

そして、その水軍がものをいう時は目前に迫っていた。

深夜、孔明が周瑜の邸宅を訪れる。

普段物に動じない孔明も、この若い都督の容貌の美しさには言葉を失ったかもしれない。物堅くて容姿に関しては全然書き残していない歴史書も、一人周瑜に関しては「美しかった」と書き残している。背が高く、華やかな顔立ち。孔明も関羽(かんう)も張飛(ちょうひ)も平民の出だが、周瑜は名門の出である。古い家柄の血が、その端正な顔に高貴さを与えていた。

二人は向かい合って座った。目と目が合う。まなざしから火花が散る。両者は人の心を読むのに長けてた。多くを語る必要はない。孔明は一目で察した。

「この人は、開戦する気だ」

翌日、周瑜は孫権の前に立った。両側には文武百官が居並ぶ。「周瑜よ、曹操と戦うべきか、投降すべきか。卿(けい)の意見を問いたい」

周瑜はまなじりを決して孫権を見た。そしてゆっくりと言った。

「なぜ曹操に降らねばならないのか。呉は三代続く強国でございます。曹操の如き成り上がりの風雲児とはわけが違う」

「では、戦うべきと言われるか」

「しかり!」

周瑜は彼にしては珍しく、怒気を強めて言った。「第一に、曹軍はいずれも陸軍。馬上でこそ口をきけ。水上では何もできぬ。何で我が水軍がおそれよう。第二に、曹操の魏(ぎ)の後ろには馬超(ばちょう)、韓遂(かんすい)など、絶えず寝首を狙うやからがいる。第三に、北国の兵が多湿な南方へ来れば、疫病にかかることは必定である。曹軍、いかに数が多かろうとおそるること足らず! ご主君、それがしに数万の兵を授けたまえ。必ずや曹軍をやぶり、呉国から一掃してご覧に入れます!」

孫権が膝を叩いて立ち上がった。「よくぞ言った! 断固として曹軍を討つ! 周瑜よ、そちは天がわしに授けた宝である」

叫ぶや否や、剣を抜きはらって足元の机を叩き割った。「今後、評議は無用ぞ。以後曹操に降伏せんと口にした者は、見よ、この机と同じになるぞ!」

号令は下った。孫権は剣を周瑜に与え、彼を呉軍大都督に任じた。
しかしその帰り道、周瑜はどうしても気が晴れなかった。

「孔明の奴、我が主君をいともたやすく口説き落とした。恐ろしいやつ……。今は同盟を組んでいるが、今後……」

曹操軍は長江のほとりに布陣した。長江の水も埋めよとばかりの大軍勢。夜は煌々とかがり火をたき、赤々と空をも焦げるかと思われた。呉軍ははるか対岸にその偉容を見、心が寒くなるのを覚えるのだった。

しかし、いかに大軍を率いているとはいえ、相手は音に聞こえた呉の水軍。油断はならない。「何か良き策はないか」

「それがしにお任せあれ」そう言ったのは蒋幹(しょうかん)といういう男。「わたくしは周瑜と同郷で幼なじみ。彼をリクルートしてきます。こちらに寝返るよう説得してみましょう」

曹操は有名な人材コレクター。周瑜が手に入るかもしれないと思って手を打って喜び、ウキウキと待っていた。

だが、そんな手に引っかかる周瑜ではなかった。「蒋幹を送ってきたか。よし、奴を使って、曹軍の水軍を指揮している蔡瑁(さいぼう)を片付けてやろう。曹軍には、蔡瑁より他に水軍に詳しいものはいない。奴が消えれば敵は崩れるぞ」

はたして、蒋幹がノコノコやってくると、周瑜は愛想よく笑って「やあやあ、久しぶりだ。友が訪ねてきてくれるとは嬉しい。今夜は大いに飲もうじゃないか」

感激を装い、盃を重ねて飲み続け、酔っ払いのふりをして踊り出した。「実にいい夜だ。おれの剣舞を披露するよ」舞う、舞う。周瑜は剣をひらめかせて舞う。舞い終わると、蒋幹をほったらかしてつぶれて寝てしまった。

リクルートするはずが、さっさと泥酔されてしまったので蒋幹は大慌て。「起きてくれよ、頼むよ」ふと、蒋幹は周瑜の机の上にとんでもないものを発見。

「ややッ。これはうちの蔡瑁の手紙だ。字が間違いだらけだから、本物に間違いない。奴は周瑜と裏取引をしていたのか」蒋幹は飛んで帰って曹操に手紙を見せる。当然、曹操は激怒して蔡瑁を斬首した。

「あッ、しまった。これは周瑜の罠だったのか」殺した後に気付いたが、もう遅い。

それでは、と蔡瑁の甥、蔡(さい)和(か)を周瑜の元に送る。蔡和は紅涙を絞って訴える。
「蔡瑁を曹操に殺されました。この恨みは消せません。どうか大都督の元で使ってください」

実はスパイなのだが、無論周瑜はお見通し。逆に蔡和を使って、偽情報を曹操に流しまくった。

「黄蓋(こうがい)が周瑜にひどい目にあわされた。黄蓋は曹操に寝返ろうとしている」

「他にも、甘寧(かんねい)など名だたる武将が、周瑜に恨みを持っている」

これを信じた曹操に油断ができた。「よしよし、周瑜、恐るるに足らぬわ」

ところで、周瑜にも気がかりが一つあった。

孔明である。

蒋幹、蔡和を使った駆け引き。呉の将軍たちにすら見破られなかったのに、よそ者の孔明がアッサリ看破したのである。「アハハ、黄蓋を鞭で打ったのは『苦肉の策』ですな。どうです、当たりでしょう」何でもないことのように、ニコニコと笑いながらペラペラしゃべる。癪に障る。そしておそろしい。

「奴は俺の策をことごとく見破った。今は孫劉は同盟を結んでいるが、今後敵に回ったら……。いっそ今のうちに……」

周瑜の中で、孔明への害意が冷たく積もっていった。

一方、曹操軍。「丞相(じょうしょう)(曹操のこと)。呉軍はいかな戦略で向かってくるとお考えで?」幕僚が尋ねる。

「火攻めであろう。少数が我が大軍に勝機を見出すとすれば、他に手はないわ……。しかし」
曹操は得たりと笑って「この季節、風は北向きじゃ。呉軍の方へ向かって吹く。火を使おうとすれば、燃え広がるのは呉軍の方よ」

一方、周瑜は毎日河岸に立って風向きを見ていた。「東南の風よ吹け。東南の風……」

ここで、この章の初めに触れた場面に戻るのである。

周瑜は知っていた。

この冬の季節、風は北向きに吹くが、必ず一日か二日、強い東南の風が吹く日があるのである。そしてその日は今日か明日かに迫っていた。「空気に湿り気がある。北風が弱い。今夜だ。今夜、東南の風が吹く。火攻めをかけるぞ。曹操の大船陣は火柱と化す」

西暦二〇八年(建安十三年)冬十一月二十一日。

「今ぞ、ゆけ!」

周瑜の号令の下、呉の水軍は河岸を離れた。「や、船隊が南の方から来る!」曹操の元へ知らせが来た。曹操は船べりに走って、「やや、なぜだ、なぜだ。東南の風が吹いている。ありえぬ! こんなことが!」

同時に、戦慄した。「しまった! この風、火攻めをかけられれば防ぐ手立てはない。ああ!」気付いたときにはもう遅かった。

強風を背に受け、恐ろしいほどの速さで迫りくる、大小の船の群れ。それらはすべて、煙硝、油、柴を山と積み、火種とともに、どうっと曹軍の巨船へぶつかっていった。

轟音とともに上がる紅蓮の炎。巨船といえども当時の船。いずれも木造船や皮革船である。炎は見る間に隣の船、また次へと燃え広がり、蛇の如き炎は水の上を駆ける。

呉は、勝った。巨船を焼いた炎は陸地の本陣をも焼き尽くし、曹操は馬に乗って命からがら逃げ落ちていったのだった。周瑜はこの大勝利を得て、その名を中国全土に轟かした。

一方、このとき孔明はどうしていたか。時間は少し遡るが、周瑜は孔明の異常な聡明さを恐れて、とうとう最後の手段に出た。赤壁の戦いの当日、部下に命じて殺そうとした。

だが孔明もさるもの。戦のどさくさに紛れて、小舟に乗ってスタコラ逃げてしまった。「アハハハ、お使いご苦労。周都督によろしく」茶目っ気たっぷりに笑い飛ばしたのが、また神経を逆なでする。

「畜生、畜生! 奴は必ず、呉の害になる。奴の息の根を止めぬうちは夜も寝られぬ。見よ、今に!」周瑜は穏やかな外見とは裏腹に、根は血が熱い。普段の彼にも似合わず、ぎりぎりと歯ぎしりして罵った。

ところで、周瑜は歴史的大勝利を得たというのに、この孔明とのやり取りでいつも揚げ足を取られ、せっかくの勝利にケチがついたように感じないだろうか。

周瑜はいかなる評価を受けているか。

「周囲に流されず、堂々と意見を述べる。非凡な才能があった」と大絶賛される一方で「孔明の才に嫉妬していた」「激情に駆られて、憎しみに我を忘れることがあった」
とも言われている。

三国演義にはこの周瑜と孔明の丁々発止(ちょうちょうはっし)のやり取りが、これでもかというほど散りばめられている。いずれも、あと少しというところで周瑜の負け。孔明はうちわをあおいでニコニコ。周瑜は牙を噛んでくやしがる、という構図。ついには知恵では勝てず、力づくで孔明暗殺を謀る。

「なんだか、周瑜って気の毒じゃないの? この人だって十分優秀なのに……」という気がするほどの連敗ぶり。これだけ見ると、確かに陰湿で嫉妬深い人間に思われなくもない。

しかしながら、実はこのくだり、演技の作者羅漢中(らかんちゅう)の創作なのである。

そもそも、孔明は赤壁の戦いには参加していない。孔明が周瑜の策を見破ったり、まんまと暗殺から逃れたり、というのは全部真っ赤なウソなのだ。

羅漢中としては小説家のワガママとして、三国志史上最大の戦い「赤壁」で、お気に入りキャラの孔明を大活躍させたいというもくろみがあった。活躍するには、ライバルがいなければ面白くない。「誰か、孔明に張り合えるほどのライバルはいないかなあ」そこで白羽の矢が立ったのが、呉の大都督にして、赤壁を奇跡の勝利に導いた周瑜だったのである。

「周瑜とやり合わせて、コテンパンに周瑜を負けさせ、孔明の天才を光らせるようにしよう」

そこで、周瑜は孔明に負けるよう運命づけられた。

でもただやられるばっかりでは面白みがない。孔明がただ「脳なしの将軍に勝つ」というだけになってしまう。そこで、孔明がいないところでは周瑜は素晴らしい策を展開し、曹操をギャフンと言わせる。こうすることで、「周瑜はこんなに天才なのに、神の如き孔明には及ばない」という図を展開しているのである。この辺、羅漢中は見事に描ききっていて面白い。

ともあれ、周瑜はこんな勝手な小説家の都合で、死後千年もたってからありもしない敗北を喫せられ、大迷惑をこうむることになったのだった。墓の下で怒っているかもしれない。

では、実際の人物像はどうだったのか。


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