三国志時代の食事とお酒。五分で読めます。
三国志のドラマとか映画とか見ていて、本編とは関係ないけど気になるポイント!
「なんか……また同じの食べてる?」
特にドラマ!何かのカタマリ肉と、青菜が少々。絶対使いまわしだろう!ってくらい、毎回、毎回同じメニュー!常にこんなのを食べていたら、どんな英雄豪傑だって食生活の偏りから病気になってしまうでしょう!
というわけで、「ホントの彼らはどんな食事をしていたの?」という素朴な疑問を調べてみました!
食べてた穀類
中国は広いので、北と南で少々異なります。まずは北から。
北部ではキビ、麦、アワ、米などを作っていて、一番食べてたのは麦です。この麦にはちょっと壮大なドラマが……。
もともと中国では、春先になると蓄えてた麦が底をついてしまって、農民たちは飢えて困っていました。何度も深刻な飢餓で困ってたそうです。
ですが!漢の時代に「冬にも麦を育てて収穫することができる!」という画期的なアイディアの登場で、冬も春も穀物に困らなくなったのです!これぞ歴史を変えた二毛作!歴史のテストで絶対出てきますよね~。
その上、食べ方にもドラマが……。
もともと、麦はどうやって食べられてたかというと、ただ単に雑炊にして食べてました。ちょっと考えれば分かると思いますが、ゲロまずです。脱穀だって当時は十分じゃないので、殻がいっぱい入っててさらにゲロまず……。
ところが、漢の宮廷で「ひきうす」なるものが発明されてからというもの、麦の食べ方が一変したのです!麦を「小麦粉」にすることで、練ってパンにしたりラーメンにしたり、中華まんじゅうにしたり……!無限のバリエーションでお食事風景が豊かになったのでした!
というわけで、三国志の北部の人たちは何を食べてたか?
一番はパンです!どうやらこの頃は「発酵」も可能になったようで、けっこうフワモチのパンが食べられるようになったようですよ。それから麺。これは肉汁なんかを混ぜて練った麺でして、けっこう美味。
戦争してる最中なんかは、パンに肉をはさんで「三国志バーガー」にして食べてたみたいですね!
では、南部では何を食べていたか?
南部でもアワ、キビ、米、麦を作ってましたが、南部は水が豊かなので、麦よりも圧倒的に米が主役です。
ですが、食べ方は日本とだいぶ違いました。日本は米を炊きますが、中国では蒸します。なので、日本の米とはだいぶ食感が違ったようです。
それに、おかずの中に積極的に米を使うこともしていました。肉の煮物の中にどっさり生の米を入れて一緒に煮たりしていたようです。これは結構おいしそうですね。
おかずはほぼ煮物!
現在の中華料理は「炒め物」「揚げ物」が主流ですが、当時の中国では「油をしいて炒める」とか「揚げる」という料理法は、まだ存在してませんでした。なので、料理はほぼ煮物。新石器時代には三本足の「鼎(かなえ)」という鍋で煮てましたが、この頃は今とほぼ変わらない形の鍋。それも結構大鍋でグツグツ煮てました。
骨ごとグツグツ煮るためですかね?釜茹での刑に使うみたいな大鍋を使ってます。壁画とかを見るとビビります。
使う肉はブタ、羊、牛、犬、ウサギ、鴨、キジ、しゃこ、うずら、ニワトリ、スズメ、鶴、なんと白鳥まで!特に犬はよく食べてたんだとか。さすが中国、物凄いバリエーションです!これは干物にもしました。保存食ですね。
焼き肉も存在しました。これは炒めるのではなくて、串に刺して直火で焼いたものです。焼き鳥が多かったようですよ。
味付けは味噌、ジャン(醤油みたいな奴)、塩など。ナツメとかを一緒に煮て、香りづけにすることもありました。あとは蜂蜜。砂糖代わりに使っていました。
煮物の他には、干物、酢漬けの野菜、あと「なれずし」を食べてました。どれも腐らないようにするためですね。
この「なれずし」とは、滋賀県の鮒(ふな)ずしと同じ種類の発酵食品です。塩を加えずに魚を発酵させたものなので、慣れない人にとっては強烈な臭いが……。これ、秦の時代からあったことが分かってます。始皇帝が死んじゃって運んでいる時、死体が腐って臭い出したので、この「なれずし」を三十キロばかり車に積んで誤魔化したと記録にあります。
デザートもあるよ!
ある……といっても、ほぼ果物だけです。ビワ、桃、すもも、梨、梅などを食べてました。う~ん、ということは、果物が実ってない時はデザートなしってことですね。甘党には辛い時代です……。
例外は杏仁豆腐!
実は、杏仁豆腐はこの時代から存在していたのです!でも、デザートとして作られたわけじゃありませんよ?実は、咳止めの薬として作られたのです。
あんずの種には咳止め効果があり、大昔から使われていました。ですが苦くって食べにくいんですね……。
そこで、牛乳を混ぜたり蜂蜜を混ぜたりして、食べやすくする工夫が繰り返されました。そうして完成したのが杏仁豆腐だったのです!
これから杏仁豆腐を食べる際は、ぜひ古代中国のお医者さんの愛を感じて下さいね。
お酒はほぼドブロク
三国志に出てくる人たちは、ひっきりなしに飲んでますよね。
「何であんなに飲めるんだろう……?」
と疑問に思った人もいることでしょう。
実は、三国時代のお酒は、アルコール度数がほぼ三パーセント以下。めちゃくちゃ薄かったのです。いっぱい飲まなきゃイイ感じになれなかったんですね……。
というのも、「何度も醸(かも)す」ということをしてなかったからです。うんと偉い人なら、何回もお酒を醸してアルコール度数を上げることができましたが(それでも高くて十度くらい)、エラくない人はチューハイ的な薄い奴で我慢してました。それに蒸留技術はまだ確立してませんでした。
しかも、保存状態が悪かったので、作ったらサッサと飲まなきゃお酢みたいに酸っぱくなっちゃいました。材料にしてたのは米だし、それが酸っぱくなったらかなりマズイことに……。三国志の人たちが一生懸命飲んでるのも、もしかしたら腐るのがもったいないからかも……?
ですが、彼らは飲み方にバリエーションをつけて楽しんでたようです。
一番多いのは「熱燗」ですね。ホカホカに温めて飲んでました。それから意外ですが、冷酒もあったのです!大きな器に氷を入れ、その中にコップを突っ込んで、冷やして飲んでいたのです。ただし、これはけっこう贅沢な飲み方。偉い人になると、自分の宮廷に氷室を持つことができて、その氷を使っていたのです。
まとめ
長々とお疲れ様です!三国時代のお食事、アルコール事情をいろいろとまとめてみました。
おかずは煮物系がほとんど。揚げ物は食べない。と考えると、かなりの健康食!三国志の英雄たちのパワーは、この健康食にあるのかもしれませんね!