夏侯惇のトンジュン問題、これで決着!
三国志ファンなら一度は気になる問題!
夏侯(かこう)トン?
夏侯ジュン?
いろいろな小説やら資料を見て見ると、夏侯トンと書いてあったり夏侯ジュンと書いてあったり……。一体どちらが正しいのか⁈
このページでは、三国志ファンの間で長い年月、熾烈な議論を巻き起こしてきたトンジュン問題に決着を付けたいと思います!
あれ?吉川、横山、北方で違う?
吉川英治の作品では、夏侯惇は「かこうじゅん」と書いてあります
↓コレです
吉川英治の三国志では終始一貫して夏侯ジュン。なので吉川英治作品大好きの人は、み~んな夏侯ジュンと呼びますね。
でも横山光輝の漫画三国志では、最初は夏侯ジュンですが、いつの間にか夏侯トンに!なので横山光輝ファンの人は、「え~っと、夏侯ジュンって人と夏侯トンって人がいるよね。親戚?」ということも!
そんで北方謙三三国志では、最初っから最後まで夏侯トン!
一体なぜ⁈どうして同一人物なのに、こんな事が起こったのでしょうか⁈
そもそも初めは夏侯ジュンだった!
日本で最初の完訳三国志演義は、江戸時代に湖南文山(こなんぶんざん)が書いた「通俗三国志」です。
この「通俗三国志」を開いてみると、夏侯惇の名前は……
ご覧ください!夏侯ジュンです!
実はもともと、日本では夏侯ジュンと呼ばれていました。これには深~いワケがありまして、中国には「呉読み」と「漢読み」という読み方があるのですが、呉読みでは淳は「ジュン」、漢読みでは「トン」と読むのです。日本では古くから「呉読み」を使っていましたから、夏侯ジュンと呼んでいたのです!
ですが、その後「漢読み」の夏侯トンもじわじわと広まってきたのでややこしいことに……。
吉川英治が三国志を書いたのは1939年から1943年まで。昔の人ですから通俗三国志に習って「夏侯ジュン」にしていたのですが、横山光輝が書いていたのは1971年から1986年まで。この十五年間の間に「ジュン」が「トン」に変わっていったので、仕方なく途中から変更することに。
そうして北方謙三の時代になると、もうスッカリ「トン」が主流になったので「夏侯トン」になったのです!
つまり、別にどっちでもいい!
では結論!
別にどっちでも正解です!
本場中国で両方ともあるんだし、昔の本には夏侯ジュンと書いてあるんだし、どちらが正解という問題ではないのです。
「夏侯ジュン」と呼んでる人がいれば、「おお、昔の作品が好きなんだね」ということだし、「夏侯トン」と呼んでる人がいれば、「最近の小説が好きなんだね」ということです!
皆さん、ぜひトンジュンどっち派かで楽しく盛り上がりましょう!
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三国志の新刊を出しました!
三国志に興味ある方、中国古代史が好きな方、物好きな方、読んでね(^^)
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