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【ケルト神話】住み心地最悪!中世の城!

湖のほとりにたたずむ、白鳥の如きたたずまい。日本人の憧れ、中世の城!

しかし!中世の城が快適なのは夏場だけ!あとは最悪な住み心地だったってご存知ですか?今回は、中世の城の構造を徹底解説。夢をぶち壊す、その居住空間について説明いたします!

パーティーはここ!「騎士の広間」

「騎士の広間」。ここはよく騎士を集めて飲み会したり、戦争したときの最後の逃げ場になる場所です。当たり前ですが、城の中で一番広い場所。馬が入ってくることもあるので、出入り口も広いですよ。

広間に入ると、まず目に入るのは高級な敷物と壁掛け。これは、城内の婦人たちが必死に手作りしたものです。織物づくり、丹念な刺繍は、当時の女性たちのお仕事。城主の奥方や娘たちは、毎日必死に壁掛けや敷物の詩集をしていたのでした。その絵柄は、歴史ものや神話が主なモチーフ。有名な戦争の一場面とか、ギリシャ神話のワンシーンなどが流行の絵柄でした。

ところが!飲み会のある日、敷物の上にはバラの花びらが大量にまかれています!客人をもてなすためですが、その客人たちの足に踏まれて、敷物は染みだらけに!城主の妻たちは、絶え間なく汚される敷物に、泣くに泣けぬ日々を送っていたのでした。

次に目に付くのは、大変小さい窓。当時の窓はとにかく小さいです。当時の窓は「あればいい」くらいのものでした。「明かりを取るため」とか、「外を見るため」とかは二の次です。なぜなら、当時はガラスがほとんどなかったからです。ガラスは教会のステンドグラスには使われていましたが、一般人の館にはまだ使われていませんでした。

一般人の城の窓は、ひたすら小さく、日よけや雨よけには雨戸があるだけ。寒い時期には、雨戸を閉ざしているか、暗くて仕方がない時には雨戸をあけて凍えているかどちらかでした。

さてこの窓、外の景色を見るためには、「窓の中」に入らなければなりません。当時の窓は壁龕(へきがん)の中に作られていて、小さな部屋みたいになっていたからです。分かりやすく言えば、「天空の城ラピュタ」でムスカにつかまったシータが、白いワンピースを着て座ってた窓!ああいう風に座るベンチがあって、夏は風通しがよく、城の住人はここで涼むのを好んでいました。

さて、夏はいいのですが、冬は最悪でした。煙突を作るのは大変なので、暖炉は一つだけでした。石造りでしんしんと冷える室内。ばかみたいに広い「騎士の広間」を、たった一つの暖炉で温めることなど不可能です。

暖炉の真ん前、特等席を占めるのは身分の高い人だけ。その他大勢はガタガタ震えながら隅っこで小さくなってるしかないのでした。

部屋の照明は、暖炉、松明、シャンデリアでした。窓は小さいので論外です。

松明は有効な手段ではありますが、部屋の中が真っ黒にすすけてしまうので、城主はシャンデリアのほうが好みでした。でも、ろうそくの下にロウを受ける皿がついたシャンデリアが持てるのは王様クラスだけ。重税にあえぐほとんどの城主は、十字クロスの木のワクの上に、ろうそくを立ててそれを天井からぶら下げるだけでした。

ですから、パーティーの最中、お客の頭上にはひっきりなしに熱いロウが垂れてくるのがフツーでした。

広間よりはマシ。城主の寝室

さて、広間を出て、「私室」に入ると、ここはグッと住み心地の良い場所です。と言っても、「広間よりはずっといい」くらいです。

寝室も、広間と同じで豪華な壁かけ、敷物があります。椅子は木製で、現在のようにクッション付ではありません。木がむき出しで、座ると痔になりそうです。それで、椅子には藁や鳥の羽を敷くことがほとんどでした。ひじ掛けはありますが、なぜか背もたれはありませんでした。

これとは別に、寝椅子も存在しました。映画や芝居で登場するのは、もっぱらこれです。丈夫な縄が何本も張り巡らされた作りで、全体が弾力性のあるマットになっていました。このマットの上に、キルティングのカバーをかけ、鳥の羽が入ったクッションをいくつも並べます。現在のソファー的存在でした。

部屋の中央には大きなベッド。城主と奥方が眠るダブルベッドです。寝椅子とほぼ同じ作りで、シーツと毛皮の被いがかぶせてあります。しかし、これはそれなりにお金持ちクラス。その他大勢の城主は、ただ単に藁をつみかさねた上に寝ていました。

ベッドの近くには、衣類を入れておく長持ち。中世にはタンスがありませんでした。海賊がお宝を入れているみたいな、あの箱に貴重品を全部入れていたのです。

けっこう狭い台所

台所は意外と狭いです。室内の中央に、デーンと大型のいろり。ここに大なべが吊り下げられていて、大量のスープが作られていました。火付けは、火打石が一般的。

囲炉裏のそばには大量の焼き串。これは焼き肉を調理するためのものです。当時の焼き肉は、我々が知っている焼き鳥みたいに串に刺さっているのが普通でした。

台所には、外に出る勝手口があって、ここから庭園に出ることができます。城には必ず庭園があって、料理に使う野菜を育てている広々とした菜園がありました。中世の城は自給自足で、キャベツ、ニンジン、ニラ、からし菜、玉ねぎ、ネギなどを育てていました。

知りたくなかった……中世のトイレ事情

トイレはサイテーな設備でした。ぶっちゃけ、中世日本の川に垂れ流しトイレのほうがはるかに清潔です。

中世トイレは、壁に小さな張り出しがあって、その床に丸い穴が開いています。ここにしゃがんで用を足していたのです。城の結構高いところに作られていたため、排泄物はずっと下まで落下。以上!

一応室内で用を足しているので、誰がやっているのかは見えませんが、城の外からはボトボトといろいろ落ちてくるのが丸見えです。しかも、不潔。トイレの下に雑菌が繁殖し放題。当時、病気が流行りまくっていたのも、こういう背景があるからです。

まとめ

美しい中世の城……。しかし、住み心地は酷いものです。ヨーロッパの冬は、日本の冬と比べ物になりません。ドイツではシベリアからの風が吹き荒れ、一年のうち八か月も暖房が必要だと言われるほど寒く、長いのです。そんな厳しい環境の中、石造りで暖房の効かない城の中はいかに辛かったか……。冷え性で悩む貴族たちは、コロコロに着ぶくれてしのいでいたそうです。当時の現状は、我々のスマートなイメージからは遠かったかもしれませんね。
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