貂蝉(ちょうせん)のストーリー、3パターンを紹介!
こんにちは!坂口螢火(けいか)です。
このたび、新刊「三国志の影――脇役たちの物語」を出版することになったのですが、編集の最中に
「貂蝉?三国志に貂蝉って、いらないでしょ?」
……って言われちゃったので、貂蝉のエピソードをまるまる1章削ることになっちゃったんです(T_T)
惜しいのでこのページに貼っておきます!興味ある方、読んでね!
当時の妙齢は十五歳!
あるイギリスの小説に書いてあったが、女性が最も美しく魅力的な年齢は二十七歳なのだそうだ。容姿の美しさはもちろんのこと、若い人間のはにかみが取れ、経験を積み、分別もついて落ち着いた年齢。それが二十七歳頃である――という理屈。
読んだ時は「なるほど」と思ったものだが、この小説が書かれた時代が十九世紀末であることを考え合わせると、
「この説は時代ごとに変わるかもしれないぞ……」
という気がしてきた。
十九世紀末、イギリスの平均寿命は四十歳位だった。
が、日本の平安時代中期では、女性の平均寿命は二十七歳。「美しく魅力的な」どころの騒ぎではない。
何でこんなに平均寿命に差があるかというと、人間の平均寿命とは、十九世紀にイギリスで産業革命が起こって以来、飛躍的に――というより、一気に倍に伸びたからなのだ。十九世紀以前は、古代、中世、近世と、人間の平均寿命はほぼ同じだったと考えてよい。
――では、中国の三国時代の平均寿命は、一体何歳くらいであったのか?
最近の考古学調査によれば、男性は四十歳、女性は三十歳台であったと考えられている。
三十になったら死んでもおかしくないのだから、ぐずぐずと時間を無駄にできない。当時の女性たちは、それはそれは早熟だった。
十三、十四になったら、結婚適齢期。三十前後で「おばあちゃん」になっている……という具合。それゆえ、古代中国において「美人」とは、十五から二十までを差した。
三国志でもっとも名高く、中国四大美女の一人に数えられる麗人もまた、十六歳の少女である。英雄豪傑を手玉に取り、歴史を大きく変えてしまった傾国。すなわち、王允(おういん)の養女、貂蝉(ちょうせん)である。彼女の物語を、三国志演義からご紹介したい。
貂蝉の「美女連関の計」
その晩、呂布(りょふ)が司徒(しと)王允の館へ訪ねてきた。呂布は時の権力者、董卓(とうたく)の側近。都はもちろんのこと、諸国にもこの呂布の腕前に及ぶ者はないと評判の大将軍。身の丈は七尺もあろうか、筋骨あくまで逞しく、両眼涼やかに、見るからに他を圧倒する威風をまとった快男子。
王允は当代一の将軍を客に迎えて、山海の珍味と美酒をずらりと並べ、下にも置かぬもてなしぶり。呂布はあまり社交的な人間ではなかったようだが、王允は同郷の人間。気心が知れている。故郷の話題に花が咲く。翡翠の盃を傾けて、この日の呂布は実に上機嫌だった。
ところへ、衣ずれの音もさやかに、楚々(そそ)と部屋へ入ってきた佳人がある。あでやかに着飾り、水もしたたるばかりに結い上げた黒髪。白く長い首は、その髪の重さにも耐えられぬかと思うほど細い。長いまつ毛は、花のかんばせに悩ましい影を落としている。
ツッと腰をかがめて、聞き取れぬほどの小声で挨拶を述べるしとやかさ。
「いらせられませ……。お出で下さりまして、嬉しきことに存じます」
「将軍、わたしの娘、貂蝉です」
王允が言ったが、呂布は返事もしなかった。荒くれものの武将が、一人の乙女を前になすすべもなく震えていた。
「将軍? いかがなさいました」
問いかけつつ、王允は何やら仔細(しさい)ありげにほくそ笑む。
――実はこの時、王允の胸の内には、世の中をひっくり返す大変な企(くわだ)てが潜んでいたのである。
それは一体いかなる内容であるか? 説明するには時を少々遡らねばならない。
これより数日前、美しい月夜のことである。王允は国の行く末を憂えて、一人自宅の庭で涙を流して嘆いていた。いや、嘆きは今日だけのことではない。ここのところ毎晩なのである。この乱れ切った世相にあって、王允は粉骨砕身、皇室に尽くす忠臣。忠義の心は金鉄よりなお硬かった。
董卓の暴政を憎み、それを止める力のない我が身の情けなさを呪い、この老臣の心中、煮えたぎるばかり。
「ああ、けだものめ、董卓め。朝廷を牛耳り、天子をないがしろにするとは。奴がこの都を支配してからというもの、一日として安らぎはない。だが奴を殺そうにも、武勇無双の呂布が側にいて、誰一人近づくことすらできぬ。ああ、わしはなんと無力なのだろう。天子に申し訳ない。董卓よ、生きているうちは何もできぬが、死んだらわしは必ず幽鬼となって、貴様の心臓をつかみに行くぞ!」
……失意のどん底に沈んでいるにしては、ずいぶん理路整然と嘆いている気がしないでもないが、三国志演義は小説なので深く考えないように――。とにかく、王允は派手に嘆いていたのだ。
そこへ、王允の身を案じてシクシクと涙を流す一人の娘がある。この娘こそ誰あろう、楽女(歌や踊りで主を楽しませる召使)貂蝉である。
彼女は身分こそ一人の召使にすぎないが、王允は彼女を赤子の頃から実の娘同様にかわいがって育てた。二人の間に通う情愛は父と娘のごとく、いやそれ以上に深い。
「王允様、そんなにお嘆きにならないで下さいまし。ああ、わたくしが男であったなら、少しはお役に立てたでしょうに――。何のお役にも立てぬ我が身が、口惜しゅうございます」
「オオ、貂蝉よ。お前は何と優しい娘だ……」
王允は貂蝉の言葉に胸詰まらせ、その白い手を握りしめて、さんさんたる涙を注いでいたが――、突如、面色を変えて
「いや、できる!」
満身の声を張り上げ、身の内に閃いた考えにわなわなと震えつつ、
「貂蝉、お前ならできる。お前にしかできない! この漢を救ってくれ。犠牲になってくれ。その命をわしにくれ!」
こうして、王允が貂蝉の前に跪いて語ったのが、三国志の数あるはかりごとの中でもことに名高い、「美女連環(れんかん)の計」であった。
「貂蝉、この漢を救うには、何としても董卓を殺さねばならん。だが、董卓の側には武勇絶倫の呂布が常に控えている。この男がいるために、董卓を討とうとしたものは、ことごとく殺し尽くされているのだ。呂布と董卓に易々と近づけるものは、貂蝉、お前しかいない!
まず、お前を呂布に与えると約束する。その後、わざと董卓へお前を贈ってしまうのだ。恋する女が奪われたとあれば、呂布は悲憤慷慨(ひふんこうがい)するはず。元来が単純で檄しやすい男だ。女を奪った相手とは、決して相容れないであろう。どうだ、貂蝉。やってくれるか……」
神も等しき恩人の、涙を流しながらのたっての頼み。どうして退けるはずがあろう。
「いたします。王允様のお為ならば、貂蝉は火水の中にも喜んで飛び込みましょう」
相手は鬼より恐ろしい国賊。けれども貂蝉は王允の恩に報いんと、喜んでこの役を引き受けたのだった。
かくてこの夜、呂布はそうとも知らずに、恐ろしくも甘やかな罠の中に足を踏み入れてしまったのだった。
これほどに美しい、可憐な乙女を、呂布は見たことがない。手にした盃を口まで持っていく暇(いとま)もなく、ただ彼女の姿ばかりを眼で追う。
その様子を見た王允、まずは一方はうまくいったと、片頬を歪めて笑う。
「将軍、それほどに貂蝉がお気に召したなら、将軍に差し上げましょう」
「王允殿、そ、それは本当ですか。娘御をわたくしに?」
「何で偽りを申しましょう。吉日を選んで、貂蝉を将軍のお館へ贈りましょう」
こう言われて、恋心はいよいよ燃えさかる。
「それは確かでしょうな? わたくしに下さいますか? 間違いはないでしょうな?」
幾度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返して帰っていった。
その夜、呂布は眠れなかった。残酷で知られたこの男が柄にもなく思い悩み、月も星も目に入らない。まこと恋は曲者とは古からよく言ったもので、七尺の偉丈夫の心でさえ、たやすく奪ってしまうものである。
されど恐ろしきは人の世のたくらみ。王允はその数日後も盛大に酒宴を設けて、今度は董卓を貂蝉と引き合わせたのである。
「オ……、大官、あれは当家の娘御か」
「そうです。楽女の貂蝉というものです」
「美しいのう。これほどの美女は、洛陽、長安、二つの都を合わせても滅多におらんぞ」
「されば献じましょう。連れてお帰り下さい」
これを聞いて、董卓は飛び立つばかりに喜ぶ。ほとんど手の舞い足の踏む所を知らず、貂蝉を抱きかかえるようにして宮殿に戻ったのだった。
翌朝――、
「何だと! 相国(しょうこく)(董卓のこと)が貂蝉を召しただと? そんな馬鹿なことが!」
のけぞるばかりに驚いた呂布が、赤兎馬を駆って飛び出していく。「将軍、どちらへ」「どちらへ」と呼び掛ける人々の声を後にして、心は宙を飛ぶ思いの呂布が、韋駄天のごとく馳せつけてゆく董卓の館……。
息つく暇もなく、ただまっしぐらに館の奥へ駆けてゆく。と、寝殿の戸の隙間から、鏡に向かって化粧を施す美姫の後ろ姿が見えた。
「貂蝉……」
それきり、喉を突き上げる声もなかった。寝乱れたる緑の黒髪をくしけずり、くしけずり、心なしか血の気の失せた白い顔に、呂布は愛の夢が打ち砕かれたことを知った。
董卓がこの上なく上機嫌で、貂蝉をともなって部屋を出る。通り過ぎる一瞬、ちらと呂布の顔を見上げた貂蝉の目は、確かにうるんでいた。「お許しくださいませ」と眼で語り、唇を震わせつつ過ぎてゆく長廊下。
いつもなら、怒れば狂暴そのものとなる呂布。けれどもこの時ばかりは、悲しみが心を占める割合が大きかったのか。威風凛凛たる後姿が、今は病人のように力なく、よろめきながら館へ帰っていくのだった。
こうした次第で、こともあろうに現在の主君に、妻となるべき女を奪われた呂布。以来、失望のあまりの大きさに、人が変わったようになってしまった。目に見えて無口になり、昼間から浴びるように酒に溺れる。狂騒に部下を罵り、かと思えば屋敷に閉じこもったまま出てこない。一人酒を飲んでいる時など、声も出さずに泣いていることがあった。
この状況に心を痛めて、董卓を再三諫めたのが、董卓の知恵袋の李儒(りじゅ)。
「貂蝉を呂布に譲るべきです。あの男は怒ると何をするか分かりませんぞ」
「ムム……。あの女はまれにみる上玉。呂布に譲るのは惜しい」
「相国、大所高所(たいしょこうしょ)からお考え下さい。呂布の武勇がなければ、天下取りは果たせませんぞ。もし、呂布が怒り狂って他国へ渡ってしまったら、いかがなさいます。女一人と天下ですぞ」
「うむ。では呂布に譲るか……」
理を尽くして諭されれば、さすがは董卓も大人物。天下への野心に、一人の美女は諦めようと決心した。ところが――、これを知った貂蝉は女の武器を最大限に利用してかき口説く。ここで董卓と呂布が和解してしまっては、王允の策謀は成らない。
「わ、分かりました……。董卓さまは、もうわたしのことなど可愛くはないのですね。将軍の方がお可愛いんでしょう。わたしを将軍にくれてやろうとするなんて。ああ、いっそ死ねとおっしゃって下さい。捨てられるくらいなら、死んだほうがましです……」
肩を震わせ、長いまつ毛に涙の露を光らせながら訴えるいじらしさ。元来、女色に溺れやすい董卓はコロリと騙されて、
「嘘じゃ、嘘じゃ。お前は誰にもやらん。死ぬまで一緒じゃぞ」
貂蝉にいいように言いくるめられてしまい、結局李儒の助言は退けられてしまった。
さて、こちらは呂布。董卓の護衛として、その身は常に貂蝉の身近にありながら、声をかけることもならず、手を触れることもかなわぬ。恋情ばかりが果てしなく募る。
とうとう矢も楯もたまらなくなった彼は、庭園の奥にある鳳儀亭(ほうぎてい)で彼女と密会した。
「貂蝉、会いたかった。お前に会いたかった……」
呂布が声を絞るようにして呻けば、
「将軍、わたくしは……わたくしは――」
と、貂蝉は涙ながらに語る。
「将軍、辱めを受けても生きていたのは、今一度将軍にお会いしたいためでした。どれほど、将軍に嫁ぐ日を夢に見ていたことか……。それなのに――董太師(とうたいし)のために、もう、わたくしは……」
袖を絞るばかりに嗚咽して、
「将軍、せめて貂蝉を哀れな者と忘れないでください!」
あれよという間に身をひるがえし、思い詰めたる娘気の、哀れ貂蝉が今しも水に飛び込もうとする。
「何をするか!」
仰天した呂布は慌てて貂蝉を抱きとめて叫ぶ。
「馬鹿なことを、貂蝉! 死ぬことなど考えるな! 貂蝉、俺は必ず、董卓からお前を取り戻す。必ずお前を妻とするから、待っていてくれ」
「ああ、将軍!」
心は砕けよ、腕も折れよとばかりに、貂蝉をひしと抱きかかえる呂布。握る得物は方天画戟、かぶるは黄金の兜。泣きむせぶ貂蝉は、流す涙に袖も濡れて、柳の緑、花の紅、鳴き渡る水鳥の声に、胸は血を吐く思い……。
「貂蝉! 俺は恨めしい――、夫婦の縁浅くして、かかる禍(わざわい)に遭うとは!」
と、そこへ――折悪しく帰って来たのは、主人の董卓。……あるいは、彼は近頃愛臣の様子がおかしいことに疑問を抱いていたのか。庭園で抱きあう二人を見つけて、
「呂布ッ、この不埒者が! 汝、我が妾に戯るるか! そこになおれ!」
まさに、怒り千丈天を突く! 董卓も怪力の持ち主と名高い武将である。くわっとして戟(げき)を投げつけた。しかし相手は鬼神と呼ばれる呂布。ひらり体をかわして、風のごとく逃げてしまったのだった。残された貂蝉は黒髪も乱れて、地面に突っ伏して泣き濡れる……。
「貂蝉その後」吉川三国志
少々長くなったが、以上が「美女連環の計」の白眉ともいえる名場面、「鳳儀亭の貂蝉」。この場面は、小説はもちろんのこと、芝居でも人気が高い。柳の緑したたる春の庭園で、美女と英雄が人知れず泣きぬれる。このやるせない一場面のために、古来呂布は二枚目が演じると決まっているのである。
脱線ついでにもう一言。古来、美男子の家臣が主君の妃と恋仲になる物語は多い。中世ヨーロッパのトリスタンとイゾルデ、ランスロットとグヴィネビアなど有名どころだろう。
こうしたケースはたいがい、主君がなかなかいい人で、家臣が「俺は裏切り者だ」と涙するところが見どころなのだけれど、呂布と董卓の間ではそれがまったくない。董卓は「いい人」どころか大悪党。呂布は裏切りなど平気の平左。このようなラブストーリーは、結構珍しいかもしれない。
とにかく、呂布はトリスタンのように、地べたに突っ伏して嘆くほど、ナイーブな青年ではなかった。
密通がバレた以上、グズグズはできない。嫉妬に駆られた董卓にいつ殺されるかしれない。
「殺(や)られる前に殺らねば」
と、呂布が董卓を方天画戟で討ち取ったのは前述の通り。貂蝉はか弱い女の身ながら、見事に与えられた役目をやりおおせた。漢四百年の歴史上、最大の巨悪と呼ばれた董卓は、一人の乙女によって命を落としたのだ。
――さて。
あまりにもドラマチックな「美女連環の計」。その大立者の貂蝉の、その後の運命やいかに?
実は「鳳儀亭の貂蝉」は、芝居でも小説でも、あまりにも人気が高いために、様々なエピソードが伝えられている。ここでは有名な逸話をいくつか。
まずは日本で最も広く読まれている、「吉川英治三国志」から。
ついに董卓を討ち取った呂布。董卓は居城に三十年分の兵糧、凄まじい量の財宝、数えきれない美女をため込んでいたために、その後に繰り広げられた略奪は目を覆うばかり。が、呂布一人だけは、金銀、珠玉、何者にも目をくれなかった。
「貂蝉、貂蝉!」
と、ただひたすらに駆ける、駆ける。声は上ずり、心は宙を飛ぶ思い。真っ先かけて奥へ奥へとひた走る。やがて、奥の一室に美女の姿を見つけて、
「おい、喜べ! 俺はやったぞ。董卓を殺したぞ。これでもう、お前は俺のものだ。晴れて俺の妻だ。さあ、怪我をしては大変だ。長安へお前を送ろう」
無我夢中で貂蝉の身体をひっ抱えて城を飛び出し、快鞭一打、自分の館へと彼女を連れて行ったのだった。
――ところが、呂布の有頂天は、この瞬間を最後に打ち破られてしまう。彼が再び戦場へ出て留守にした隙に、貂蝉は隠し持っていた短刀で自害してしまったのだ。
やがて帰宅した呂布、夢に夢を見る思いで、急いで門をくぐれば――、そこに待っていたのは、哀れ十六の花の盛りを、散る牡丹の花と共に生害を果てた貂蝉の亡骸……。
「――なぜ……。どうして!」
七尺の体躯を震わせ、面色を土のごとく変えたのも無理ならぬことで、呂布には貂蝉の突然の死の意味が分からない……。
「なぜ死んだ。これでようやく、俺とお前の人生が始まるのになぜ死んだ! 貂蝉、なぜ!」
おうおうと声をあげて、呂布はむせび泣いた。冷たい頬に顔を押し付け、肩を揺さぶり呼べど叫べど、もはや貂蝉は答えてくれない。狂気のごとく庭をさまよい、彼女の名を繰り返すばかり……。
以上が吉川三国志の貂蝉最期。戦場においては無敵の将軍呂布が、敗れた恋に身も世もなく泣きむせぶ。鬼神のごとき英雄の、人間としての弱さと悲しみに、読む人すべて涙を禁じ得ない。この貂蝉最期は、吉川三国志前半における、屈指の名場面である。
さて、日本人は「三国志」と言えば、ほぼ吉川三国志を王道としているために、「貂蝉は董卓暗殺後、自害した」というエピソードが定着している。が、実はこのエピソード、吉川英治の創作なのである。本場の中国では、貂蝉はこの時まだ死んでいない。
なぜ吉川英治がこのようなエピソードに仕立てたのかというと、
「貂蝉はあくまで孝と忠を尽くす女性であり、王允への恩に報い、そして死んだ」
という意味を込めたのだという。
では、中国での貂蝉エピソードは、どのようなものがあるのか? 代表的なものを二つ紹介しよう。
「貂蝉その後」中国編2選
まずは一つ目。董卓暗殺後、呂布は貂蝉を私邸に引き取り、ついに想いを遂げた。貂蝉の方はもともと含みがあって呂布に近づいたわけだが、こうも熱烈に恋い慕ってくる相手に情が沸かないはずがない。二人は睦まじい夫婦となり、しばらくは幸福に暮らしていたのだが……。
散らぬ花なく、落ちぬ露はないのが世の常の理(ことわり)。とは言え、呂布の最期はあまりにも早かった。貂蝉を得てからわずかに数年、呂布は下邳(かひ)の城を曹操軍に水責めにされて敗北。無惨にも処刑されてしまった。
ここに哀れを極めたのは、残された貂蝉。このままでは殺されるか、敵将の妾にされるか……。
「親と慕った王允様はすでに世になく、今また将軍も殺されてしまった――。もう、生きていても……」
生き恥をさらすよりはと、死を考えた貂蝉だったが、ここにまだわずかに天運が残っていたのであろうか。曹操軍に従っていた関羽(かんう)将軍が、彼女の悲壮な覚悟に打たれたのである。
関羽将軍。この名は、特に三国志を読んだことのない方でも、一度は耳にしたことがおありかもしれない。劉備玄徳(りゅうびげんとく)と、義兄弟の誓いを交わした大将軍である。その性格、きわめて義理に厚く恩愛を尊ぶ。忠義を守り通すためならば、命さえも惜しくないという男の花道。三国志の中でもことに人気が高い。
こうした、人一倍情の深い男であるから、嘆きに沈む貂蝉に胸打たれたのも、至極もっともな話。
「哀れな……。女人ながら国のため、一身を犠牲にしたお人が、このような境遇に落とされるとは――」
思わず両眼を潤ませて、
「貂蝉殿、嘆かれるな。拙者が御身をここから逃がして差し上げますから」
秘かに、貂蝉に兵士の格好をさせて、夜陰に紛れて城外へ逃がし、付近の寺に引き取ってもらえるよう手配したのだった。貂蝉はその後尼となり、夫の菩提を弔ったという。
以上が第一の話。苦難の末に実った、呂布と貂蝉の恋もさることながら、不遇の寡婦を救う、関羽の志が実に麗しい。
ところが、この仁義の男、関羽がトンデモナイことをしでかす話も、実はある。気になるその内容は――、
義理堅く、高潔。鉄もかなわぬ心の持ち主と名高い関羽であったが、貂蝉の美貌はダイヤモンドの心でも打ち抜く破壊力。さすがの関羽も一目で夢中になり、乱軍の中、ほとんどかっさらうようにして、彼女を妾にしてしまった。
こうしてしばらくは彼女を寵愛していたのだったが、しかしさすがは鉄の男関羽。どんどん女に傾いていく自分の心に危機を覚える。
「大丈夫たるもの、女にとらわれてはダメになってしまう」
自らを叱咤激励し、これ以上とりこになる前に……と、自らの手で貂蝉を殺すのであった。――幕。
何でこんなに「貂蝉その後」があるの?
何とも後味が悪くて恐縮だが、以上二点が中国に伝わる「貂蝉その後」。二つ目の話は、ご当地でも人気がないらしい。
ところで、ここまで真面目に読まれた読者諸賢は疑問に思っていらっしゃることだろうが、彼女の後日談は、なぜこうもいろいろあるのか? その理由をご説明しよう。
実は――、夢を打ち壊すようで恐縮だが、貂蝉は実在の人ではないのである。小説、三国志演義の作者、羅漢中(らかんちゅう)が勝手に作り出した人物なのだ。
ここで少し、三国志演義の成り立ちについて紐解かねばなるまい。
「三国志」の原本は、魏、呉、蜀、三国のうち「魏の国の歴史書」として書かれた「三国志」。「正史三国志」と呼ばれるものがこれである。作者は「司馬遷にも勝る」と褒めちぎられた大天才、エリート官僚の陳寿(ちんじゅ)。
しかし、陳寿の「正史三国志」は確かに名著なのだが、一つ問題が。頭のイイ人が読めば名著なのだが、頭がそこそこの一般人には何が何だかサッパリ……。
これを惜しく思ったのが、全国の坊さんたちだった。坊さんたちは書物をよく読むので、当然歴史にも詳しい。三国志には道徳的なお話がとても多いので、
「よし、三国志を題材にして人々が心を改めるようなお話をしよう」
と考え、全国津々浦々で三国志の話を面白おかしく説教して回ったのだ。この坊さんたちのお話の集大成としてまとめられたのが、「三国志平話」である。
この「平話」を、スペクタクルな小説「三国志演義」に仕立てたのが、我らが羅漢中(らかんちゅう)。羅漢中は「歴史小説なんだから、できるだけ史実は重んじないと……」と考えていたが、そこはやはり小説家の性。「読者が夢中になるほど面白い!」というフィクションを、バッチリ入れることを忘れなかったのだ。
小説なのだから、やっぱりロマンスがなければ始まらない。
陳寿の「正史」には、「呂布が董卓の館で一人の侍女に恋をした」というエピソードが、申し訳程度にほんのちょこっと書かれている。羅漢中はこれにヒントを得て、「美女連環の計」というドラマチックなはかりごとと、貂蝉という可憐にして勇敢なヒロインを生み出したわけである。
さて、このようにして誕生したヒロイン貂蝉。だが、羅漢中は「美女連環の計」のためにだけ貂蝉を創造したので、その後はハッキリ言って全然考えていなかった。
「董卓暗殺後、呂布の妻になった」
と、適当な記載はあるのだが、気になる呂布の死後は、あろうことかまったく記述なし。
しかし、これでは到底納得ができないのが一般読者の心理というもの。
「こんなの納得できるか! 作者が書いてないなら、勝手に作ってしまえ!」
と、こうしたわけで「貂蝉その後」が、勝手に雨後の筍のように作られたのだった。
架空の人物とはいえ、貂蝉の人気はとにかく凄まじい。なにしろ、中国の四大美女は楊貴妃、王昭君、西施、そして貂蝉なのだ。「貂蝉は本当はいないので……」と、楊貴妃、王昭君、西施、虞美人とするパターンもある。
人気が高いのも、それもそのはず。貂蝉こそは、登場人物の九十九パーセントを男性が占める、むさくるしい三国志の中で、まさに紅一点。唯一花を添えるヒロインなのだ。三国志の中には、他にも何人か女性が登場するが、彼女らはセリフもほぼなく、いないも同然。読者の偏愛は、自然、貂蝉一人にまっしぐら。
時代が下り、三国志ブームが世界に広まると、小説、ゲーム、漫画で大流行。「貂蝉その後」の二次創作は増えること、増えること、もう手が付けれれない。元々が架空の人物だから、いくらでも無責任に話が作れてしまう。貂蝉は当時の名医、華佗(かだ)が死体を集めて作った人造人間だったとか、いやいや彼女はシルクロードを通ってやって来た金髪碧眼美少女で、使命を終えると国に帰ったとか……。国境を越え時空を超えて、架空キャラも楽ではない。
――かくて、無数に製造された貂蝉ストーリーだが、最後に、わたしが贔屓にしているエピソードを紹介しよう。
美女連環の計を引き受けた貂蝉だったが、実は彼女は以前から、呂布に心を寄せていた。董卓が暗殺された後、二人はようやくのことで幸せをつかむ。
が、絶頂の幸福は長続きしない。曹操軍によって下邳城は落ち、呂布は処刑されることになる。一歩一歩、刑場へ向かう呂布であったが、そこへ思いがけず貂蝉の姿が……。
「将軍! わたくしも一緒に参ります。あなたと一緒に……」
呂布は心底驚きつつ、「駄目だ――!」と首を振る。
「お前は死んではいけない。俺はお前さえ生きてくれれば満足だ。お前さえ……」
けれども、貂蝉は頑として夫の側から離れない。これから射殺される呂布の足にすがり付いて、自分もまた満身に矢を受けて死のうとするのである。
「わたしも将軍と一緒に! わたしも殺してください……!」
涙は雨のごとく、悲痛な声は居並ぶ兵たちの胸を打って止まない……。
日本では「世のため人のため、一身を投げ出す女傑」として描かれた貂蝉。中国では、愛に一途な楚々たる美女。羅漢中が創造した女主人公が、時代を経て、こうも様々なエピソードを産み出すとは、彼女がいかに人々に愛されたかを物語る証拠であろう。
ところで、貂蝉のモデルとなった董卓の館の侍女とは、どのような人であったのか?
今となっては知るすべもないが、きっと美しい女性だったに違いない。
お知らせ
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三国志に興味ある方、中国古代史が好きな方、物好きな方、読んでね(^^)
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「五原の呂布」(呂布編)
「玉璽の三人」(伝国の玉璽編)
「袁家の二人の軍師」(沮授・許攸編)
「天授の周瑜」(周瑜編)
「原石の荀攸」(荀攸編)
「砂漠の馬超」(馬超編)
「白帝城の劉備」(劉備最期編)
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興味ある方、読んでね!