【ケルト神話】ケルト神話を残した人々

2019年4月14日

文字を持たなかったケルト人

ケルトはよく「ヨーロッパの永遠の郷愁」と呼ばれることがあります。それは、同一の言語と宗教を持ったケルト人がヨーロッパ中に広がり、彼らの文化をその地に残していったからです。言い換えれば、ヨーロッパのほぼすべての国は皆、ケルトの文化を受け継いでいるということであり、ケルトこそヨーロッパのルーツと言えるでしょう。

しかし、何らかの影響を現代に残していることは確かですが、我々がケルトの文化や宗教について分かることはほんの一握りにすぎません。なぜなら、ケルト人は文字を持たなかったからです。

カエサルが「ガリア戦記」で書き記していますが、「彼らはその教えを文字に書くのはよくないと考えて」いたそうで、そのためにケルト人は、彼らの文化や神話を書物という形で残さなかったのです。全ての神話や歴史は、ドルイド僧という神官たちが口承で代々伝えていき、生きた頭脳の中にしまい込まれていました。

その後のローマによる支配や、キリスト教による弾圧によって、ケルトの神話は歴史の闇へと葬り去られてしまったのでした。

ローマ人が語るケルト神話

しかし、ドルイド僧の消滅によって、ケルト神話がなにもかも失われたわけではありません。文字を持つほかの民族が書き残していたからです。皮肉なことに、神話を書き残したのはケルト人と戦ったローマ人でした。

歴史家のストラボンやディオドロス。プラトンやプリニウスなどが、彼らの風俗や社会について詳しい記述を残しています。ケルト人の社会に「ドルイド僧」と「王」と「貴族」がいたこと。彼らが金髪で、刺しゅうを施した服を着、マントを羽織ってそれをブローチで留めていたことなどは、彼らの残した記録から分かったのです。

神話について最も多くの情報をわたしたちに残したのは、カエサルの「ガリア戦記」でしょう。優れた武将であり、文化人であったカエサルは、戦ううえで相手の文化をよく知ることが重要だと考えたらしく、彼らの神々について実に詳細に記しています。

例えばタラニスという電光と雷鳴の神について、カエサルは「人間のいけにえを好む」と書いています。「ある部族は、枝編細工で非常に大きな人型をこしらえ、その手足や胴に生きた人間を一杯詰めて火をつける。人間は炎に包まれ、息絶えるのである。泥棒とか強盗とか、その他の罪を犯したものを殺せば、不滅の神々が一層喜ぶと信じられている。けれどもこうした罪人の数が足りなかったら、無実の人も無理やり殺してしまうのである」

聖パトリックが残したケルト神話

しかし、ケルト神話を知る上で最も重要なのは、奇跡的に残されたアイルランドの古伝承です。

ケルトはヨーロッパじゅうに広がりましたが、彼らはローマ帝国に吸収され、やがてすっかりローマ化してしまい、その宗教は失われてしまいました。しかしイギリスは島国であり、ローマの支配が及ばなかったのでケルトの文化がそのまま残ったのでした。

そしてこのイギリスも、その後アングロサクソン族の侵入により、ケルト人はどんどん追いやられていくことになります。ただ、最西端のアイルランドだけは幸運にも残ったのでした。

このアイルランドに受け継がれたケルト神話を書物に書き留めたのは、文字を持たなかったケルト人ではなく、意外なことにキリスト教の修道士たちでした。他宗教に不寛容で、土着の信仰を抹殺しようとすることで有名なキリスト教ですが、このアイルランドだけは違ったのです。

歴史のかなたに消えようとしているケルト神話を熱心に記録することを始めたのは、聖パトリックでした。彼は16歳の時に奴隷に売られ、アイルランドで6年苦しい日々を送ります。そのとき、アイルランドの人々の心の支えとなっている、妖精やドルイドの教えを知ったのでした。貧しい人々にとって、土着の信仰がいかに大切か身をもって知ったパトリックは、その後修道士となったとき、再びアイルランドへ渡り、神話の記録に身を捧げたのでした。

パトリックは「あの世からクーフーリンやフィン・マクールを呼び出して、彼らの活躍を聞いていた」とか、「フィアナ騎士団と旅の道連れになり、伝説を聞いた」らしいのですが、まあ、そのくらい神話と仲良しだったということです。

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