【三国志】漢臣の荀彧(じゅんいく)

昔から、香水が好きである。値段がもっと安ければさらに好きだろう。
小学生のころ、「風と共に去りぬ」という小説を読んだことがある。アメリカのかなり裕福な家庭の話なのだが、その母親が美しい貴婦人で「エレンの手からはいつもレモン・バーベナの香りがした」と書いてあった。わたしは子供心に感激し、「これが貴婦人の身だしなみなんだ」と何度もうなずいたものだ。

「大人になったらこういう女性になろう……」

とその頃は思ったのだが――残念ながら香水は高い。毎日香水をつけられる金持ちにはなれなかった。

ところで、何でつまらないことを長々と書いたかというと――香水――香料は人類とそれはそれは長い付き合いがある。あまりにも古くからありすぎて、いったいいつから使われ出したのかよく分からない。おそらく、古代エジプト、古代メソポタミアで香油を体に塗り出したのが最初だろう。

古代中国も、香料を愛した文明だった。それも、現代人が香水を愛用するよりももっと熱が入っていた。

中国の香料はお香である。香料を火でいぶし、その日に着用する衣類に香りを焚き染める。香りは一日中持続し、かなりきつく香ったようだ。ちなみに、日本の「源氏物語」の貴族たちも同じ方法で香りを身にまとっている。〇〇中納言が立ち聞きしていた後、廊下の残り香ですぐばれた、なんて記述があちこちにある。

三国志の時代、血生臭く汗臭いイメージが強いが、実はこの時代も例外なく香料は流行していた。しかも、意外なようだが大流行していて、多くの男性も香料を衣服に焚き染めていた。いわゆる、「おしゃれ男子」が存在していたのだ。

その中でも有名なのが、曹操(そうそう)の息子曹植(そうしょく)。そしてこの章の主人公荀彧(じゅんいく)だ。

荀彧。曹操の名参謀である。曹操は人材を愛した人で、多くの文官武人を擁しているが、そのブレーンの中でもっとも名高いのがこの人だ。

荀彧には有名な逸話があって、劉弘(りゅうこう)という人が「荀彧が訪れると、彼の座った席は三日間その香りが残ってた」と語ったという。

三日間というのはいくらなんでも大ウソだろうが、このエピソードは荀彧の人柄をよく伝えている。

三国志に登場する英雄たちは「野育ち」が多い。関羽(かんう)はもともと塾の先生。張飛(ちょうひ)は肉の解体人。呂布は北方の遊牧民。腕に物を言わせて、乱世に成り上がった者ばかりである。もし太平の世に生まれたら、ただのやくざ者で終わったかもしれない。

その中にあって、荀彧は「貴公子」という呼び名がふさわしい。

何を隠そう。彼は総理大臣クラスの高官を出すほどの超名門の家系。つまり、漢の皇室に代々仕える官僚の家柄だった。おそらく荀彧は幼少の頃から「我が家は代々、漢に仕えてきたのだ。お前も天子のために生きろ」と、呪文のように言い聞かされ、その言葉が血肉となるまで教え込まれたに違いない。

この荀彧の「血」は、生涯彼の生き方を左右し、そしてそのために彼は死ぬことになる。

ところで、荀彧の取柄は家柄だけではない。彼は幼少のころから神童の名をほしいままにする天才だった。塾の先生から「王佐の才」とホメられたこともある。

当然のように、青年荀彧は宮中に出仕。現在で言うところの一般事務の仕事に就き、天子のおひざ元で働くことになる。

しかしやんぬるかな。時、董卓(とうたく)の世の仲。董卓については「五原(ごげん)の呂布」で詳しく書いたが、カンタンに言えば宮中を乗っ取ってやりたい放題している巨悪の塊の男だった。

「ちぇッ。こんな奴の下で働いていてもつまらん」

と言ったかどうかは分からないが、荀彧はサッサと宮中を逃げ出す。故郷に戻ると

「ここももうすぐ戦場になるな……」

一族郎党を連れて、安全な冀州(きしゅう)にお引越し。

ところへ、この荀彧の才能に目をつけた人物がいる。「実に頭のキレる男だ。うちのブレーンにしよう」袁紹(えんしょう)である。彼も時々登場する男だが、この頃、煙硝は中国の北大部分を掌握する一大勢力。誰もが

「今、一番エラいのは袁紹だ」

と言っていた。この袁紹が荀彧をスカウト。しかも下にも置かない上客の扱い。

ところが、

「こいつ、見た目は立派でも中身はスカンピンだな」

あっという間に見限り、すげなく振って立ち去るのだった。袁紹は大失恋。

どこにも落ち着かない、さすらいの荀彧。彼はいかなる夢を抱いていたのか。

もともとお坊ちゃま育ちの荀彧。その性格は生真面目、金鉄のごとし。漢王朝に忠節を守ってきた家の教えをどこまでも貫き通す。

「自分は漢のために生きるのだ……。天子をお助けし、万民が安らかに生きていけるように……」

ところが、彼は見た。董卓が宮廷を牛耳り、天子をないがしろにしているのを。皇室の以降は地に落ち、奸雄が好き放題にふるまっているのを。

荀彧は怒りに震え、そして誓った。「今、自分一人では何もできない……。だが、必ず!」
意を決するや、野に飛び出したのだった。

時は乱世。腕に覚えのある豪傑たちが、力に物を言わせる時代。官僚タイプで頭脳プレーだけが取り柄の荀彧は、どう行動すべきか。

「自分には、夢を託せる英雄が必要なのだ」荀彧は田舎に引っ込んで考える。「自分は先頭に立って指示する人物ではない。誰か、上に立つ人を選んで、その人を補佐する。参謀としてその人を助ける。そして、その人とともに漢を救うのだ」

ではその英雄は、仕えるべき人はどこにいるか?

そのような折、荀彧はふと曹操の求人広告を目にする。曹操――、この人物こそ、「三国」のうち最も強大な魏(ぎ)を建国し、中国中に雷鳴をとどろかせた大人物。三国時代の真の主役と言っても過言ではない。が、ハッキリ言ってこの頃の曹操は、まだ駆け出しのペーペーに過ぎない。世間での知名度も「知ってる、知ってる!」ではなくて「ああ、そういえばいるね。そんな人が」という程度。弱小勢力過ぎて部下が全然いなかったので、曹操は必死に人材募集のピーアールをしていた。

しかし、荀彧はこのペーペーの曹操に注目する。彼には深い洞察力と、優れた先見の明があったのだ。荀彧はこの後、曹操の元でリクルートの仕事を請け負い、優れた人材を何人も集めている。三国志ファンの間で人気の高い、荀攸(じゅんゆう)や程昱(ていいく)、郭嘉(かくか)は荀彧がリクルートした人たちだ。彼には人の能力を見定める優れた直感があったのだろう。

西暦一九一年、荀彧は曹操に仕える。荀彧、この時二九歳。

天才の誉れ高い荀彧を手に入れた曹操。無論手放しで喜び、「我が子房(しぼう)よ」と荀彧を呼んで歓迎したと伝えられる。「子房」とは三国志の時代よりさらに大昔、天下取りに尽力した超エラい参謀のこと。つまり曹操は荀彧の冴えわたる頭脳を子房に寄せて、「お前がいれば俺は天下をとれる」と言ったのである。

互いに手を取り合った曹操と荀彧。彼らの関係は、戦車の両輪に似ている。荀彧の才知にホレこんだ曹操は、内政も外交も荀彧に相談した。曹操の行動力は大したものだった。彼は人材を集めるや、またたく間に「青洲軍(せいしゅうぐん)」という精鋭ばかり集めた軍隊をまとめ上げる。荀彧は内政を整え、農耕や産業を奨励して兵糧を豊かに蓄えた。荀彧は考え、曹操は行動する。互いに絶対の信頼を置く二人。鬼神と呼ばれた呂布と一年にわたって戦をしたときは、曹操は荀彧に城を預け、荀彧はかなりきわどいところまで呂布に攻められるも、見事城を守り切った。

天機が訪れたのは、それから間もなくのことだった。天子劉協(りゅうきょう)が董卓のとりことなっていたのは先に述べたが、その後董卓は呂布によって暗殺。天子は董卓の残軍、西涼(せいりょう)の軍に身柄を拘束された。軍の内部は内乱が相次ぎ、血で血を洗う毎日。天子はまるでキャッチボールの球のように、今日はあっちの派閥に囚われ、きょうはこっち……ともみくちゃにされ、日々の食事にも事欠く有様。生命の危機を感じ、ついに天子はその網から逃亡したのである。

劉協には、特に当てはなかった。狼の巣からやみくもに飛び出し、盲目的に洛陽(らくよう)へ――自分の故郷へとひた走る。頬は涙に濡れ、裸足の足裏は血に濡れていた。不幸のどん底に落ちた人間は、本能的に故郷の土を求めるものだ。

この知らせが届くや、「今こそ天機です。軍を率い、天子をお助けするのです」荀彧は曹操に熱く語った。曹操の瞳は、その一言一言に輝きを増す。

天子を助けることには、二つの意味があった。

一つは言うに及ばず、漢を助けること。

そしてもう一つは、天子を手中に収めることによって、この国の頂点に立つことだった。腐っても鯛。落ちぶれたりとはいえ天子は天子。天子の名さえあれば、勅命(天子の命令)という形によって、全ての豪族たちに命令することができるのだ。

「ご主君、すぐにご決行なさい。天子を奉ずることこそ、あなたの運命を開く道です。他の者に天子を奪われぬうちに!」

「うむ、分かった!」

曹操は決断すると速い。彼の強みは、動くべき「時」を判断する直観力があること。そして、これはと見込んだ人物の言うことに絶対の信頼を置くことだった。「我が子房」と呼ぶ荀彧の切なる訴えを聞くや、曹操は稲妻の素早さで手勢を率いて走っていった。
天子は追ってくる涼州軍に怯え、今は廃墟と化した洛陽の宮殿でなすすべもなかった。

「ここまで逃げてきたが、このままではいずれすぐにつかまってしまう……。わたしは一体どこへ逃げればよいのだ……」

天子を慕って一緒に逃げてきた文官たちも、逃亡の日々に疲れ切り、今は考える力もない。と、そこへ転げ込むようにして伝令が

「申し上げます。援軍が参りました! これぞまさにご先祖様の助け……」

「どこの軍か? 名は?」

「曹操でございます!」

曹操は誇りまみれの宮殿の床に膝をつき、額をこすりつけて拝礼する。天子の喜びは言うまでもない。

だが、曹操が次に口にした言葉に青ざめた。

「陛下。ここ洛陽は荒廃しております。わたくしの本拠地、許(きょ)に陛下をお迎えし、我が精鋭で陛下をお守りしたいと存じます。許に遷都し、以後は許都と名を改めるようご命令ください」

何千という兵で周りを囲み、有無をも言わせぬ口調。

天子劉協は聡明だった。曹操のへりくだった言葉の裏に、曹操の野心を読み取った。

「この男はわたしを操り人形にする気だ……。許に幽閉し、かつての董卓のようにわたしを権力の道具にするつもりだ……」

それでも従う他はなかった。何の力もない天子は、曹操の手から逃れるすべもなく、言いなりになるより仕方なかった。蒼白な面に涙が筋を作る。曹操は豪華な輿に天子を乗せ、そのまま許にさらっていったのだった。

一連の出来事を、荀彧は安堵の笑みさえ浮かべて見ていた。

漢を至上のものとする荀彧が、なぜ天子を権力者のとりことすることを勧めたのか?
一見、彼の行動は彼の思想と矛盾しているように見える。しかしこれは、荀彧の理想とする政治の在り方に根差した行動で、決して漢に逆らったものではなかった。

荀彧は、漢の運命は今や水面に浮かぶ木の葉より危ういものだと知っていた。今しも波にもまれ、いつ沈むか分からない。

「漢を守る、強力な権力者が必要だ」と、荀彧は考えた。天子が再び権力を握り、この国を支配するなど、この乱世ではもうあり得ない。それよりも強力なパトロンを用意して、その人に天子を守ってもらう。そうして漢が滅びないようにしよう――これが荀彧の理想だった。かれが守りたかったのは生身の天子その人ではなく、三百年続いた漢王朝の血であったのだ。

だから天子劉協個人としては最悪な身の上には違いなかったが、「漢王朝を守る」という目的は、これで一応成功したのだった。

天子を手中に収め、曹操はがぜん乱世の表舞台に踊り出る。「勅命」を思いのままに利用し、邪魔者は消し、あるいは操り、またたくまに一大勢力へと膨れ上がったのだった。荀彧が右腕として休む間もなく働いたのは言うまでもない。

そして、運命の決戦。

西暦二六六年(建安五年)官渡(かんと)の戦い。

三国志にはいくつか転機とも言うべき瞬間があるが、この戦いはその中でも際立って光る瞬間だ。この一戦で、曹操が当時最大の勢力であった河北の袁紹を破り、堂々中国でトップの座に就くからだ。

中国北部の二大勢力、袁紹と曹操。かたや広大な領地を有する古豪袁紹。かたや天子を有してはいるが、未だ勢いだけの新興勢力曹操。我こそが覇を唱えんと、両者がぶつかり合うのは時間の問題だった。

きっかけは南部の雄、孫策(そんさく)の急死。その衝撃が中国全土を揺るがし、力のバランスが崩れたその時だった。

「今ぞ! 曹操を討て!」

袁紹が号令し、河北の大軍はぞくぞくと官渡に殺到した。

「和睦しましょう! 袁紹は強大です」曹操の幕僚たちは口々に言った。

「軽々しく戦える相手ではありません。ここは自重するべきです」

曹操が荀彧の顔を見る。荀彧がまだ意見を述べていなかった。荀彧は前に出て、いつもと変わらない口ぶりで言った。

「苦しい戦いとなりましょう。丞相(じょうしょう)(曹操のこと)。しかし――」キッと一点を見つめて「袁紹は時代遅れの愚かな夢をむさぼる輩(ともがら)。国土に恵まれて富強であるが、彼自身は尊大で度量がなく、国内は乱れるばかり。臣下は権を争い、法はあってなきようなもの。また、彼の三人の息子たちも跡継ぎの座を争い、ますます内憂は広がるばかり。十万の大軍が何であろう? たしかに数においては引けを取るが、内に何の憂いもなく、精鋭をそろえた我らが袁紹を討てぬはずがあろうか?」

「よくぞ言った!」曹操が叫び、立つ。「わしは戦うであろう! もはや後に引けぬ。荀彧、都の守りはお前に任せた」

両軍は官渡に集結した。袁紹軍七十万。馬煙は天を覆い、壁の如き軍営の長さは九十里に及んだ。

対する曹操軍はわずか七万の兵。それは、誰が見ても自殺行為だった。だが兵量の乏しい曹操は、この人数でしか戦えなかったのだ。

当然、緒戦は曹操の大敗北。必死で逃げて籠城戦を決意。持久戦に持って行った。

「力ではかなわん。このうえはハイテクの科学兵器で戦うしかない」

曹操はここで霹靂車(へきれきしゃ)なる火を吐き大石をふっとばすという、謎の大砲を作らせて対戦した。

「何だあれは!」

「火を吐いているぞ! あやかしの術か?」

敵は言うまでもなく、味方までが怯えるほどハイテクな武器だったらしい。三国志には時々、こういうまるでアニメな兵器が登場する。牛の形をしたヘンなリアカーとか、まるで宇宙服のような防護服とか。巨大なライオンの着ぐるみを着せた、口から火を噴く兵器など……。大真面目に書いてあるのだが、想像すると大爆笑ものである。たぶん、この半分くらいは嘘だろう。霹靂車も本当かどうか、ややあやしい。

話を戻して、火を噴くアニメな大砲にビビりまくる袁紹軍。だが立ち直って「猪口才な。地下ならば問題ないわ」モグラのように地下トンネルを堀り、地下からの攻撃をたくらむ。

攻防一進一退。どちらも引けを取らないが、ついに音を上げたのは曹操の方だった。元から少ない食料が尽きたのである。明日食べるものもない。

苦しい時の神頼み。曹操は苦しい時、いつも相談するのは荀彧だった。

「もう兵糧がない。どうしよう。あきらめて許都に帰るよ」

泣き言を書き連ねた手紙に、荀彧は返事を書く。まさにこの一通が、今後の歴史を大きく変えたのだった。

「至弱をもって至強に対しているのです。苦しいのは当然のこと。今、丞相が逃げ腰となれば我が軍は士気を喪失し、全滅することは必至でありましょう。転機は必ず訪れます。我が軍が苦しいように、敵もまた苦しいのです。ここが天下分け目の正念場です」

厳しくも誠実な言葉。手紙を持つ手が震え、頬を涙が走る。曹操は、荀彧が今目の前に立ち、歯に衣着せぬ口調で自分を叱咤しているように感じた。

この手紙で曹操は奮い立ち、徹底抗戦を決意する。

転機は荀彧の言葉通り訪れる。袁紹に冷遇された軍師許攸(きょゆう)が、袁紹軍の食糧輸送拠点の場所を曹操に漏らしたのである。曹操はその場所を焼き払い、奇跡の逆転勝利を手にしたのだった。

戦車の両輪。離れることなく、一本道をひた走る曹操と荀彧。しかし、車輪はいつしか擦り切れるもの。石に傷つき、泥水に汚れ、かつての凛凛たる面影はなくなってしまう。車軸は壊れ、二人はいつの間にか違う道を走ることになる。

最初に離れていったのはどちらだったのか?

官渡の戦いから八年。赤壁の大戦の折、曹操はポツリと語っている。

「わしも今年は五十四になる。我が魏も強大となったが、この身もすでに五十四.髪も白くなった……」

何年もがむしゃらに走り続けているうちに、もう曹操は若さを失っていた。彼は老境に差し掛かっていた。

どんな君主でも英雄でも、迫りくる老いには勝てない。稀代の英傑曹操でもそれは同様だった。いかなる時も己に厳しかった彼が、寵を競う家臣たちの甘い言葉に流されるようになった。